ここでいう学習内容とは学習の進度ではありません。
幼児教育においては今、体験していることが学んでいることです。
計画ありきではなく、目の前の子どもありき、遊びありきです。
だとしたら、今、目の前の子どもが遊んでいることの教育的な意義を知るということが重要です。
大人は保育計画を立て、目標を達成させることが保育内容だと考えるかもしれませんが、子どもは遊ぶ中で自ら考え、工夫し、学習していくのです。
子どもの遊び・行動の意味を探り、子どもが今何を獲得しようとし、どんな意味があるのか説明できるというのが保育の専門性です。
思考や主体的な行動
子どもが考えている時、感じている時にあれやこれやと言う必要はありません。
思考や感じていることを妨げないようにしましょう。
今、彼が学習していることの中身は、よく観察することです。
なんだろうという好奇心と発見の喜び、知り得なかったことを知るという学ぶ喜びです。
この時の保育者の役割は側で見守り、肯定的なメッセージを間接的に送ることです。
この時の彼の驚きや不思議さを共に共感することです。
彼女が今学習していることは、自らの意志で環境に働きかけるという主体的に行動する習慣を身に付けるということです。
保育者は子どもたちが気づかない環境に潜む危険をさり気なく排除し、自由に身体を動かす喜びや環境の変化を楽しむことを支援するのです。
時に行動を共にし、楽しいという感情を共に共有するのです。
そのことで子どもの学習がさらに深まり、強固な記憶となって身についていくことでしょう。
困難に挑戦
彼女は今、「やってみたい」という内発的な動機付けに基づき、斜面登りに挑戦しています。
この時には、「危ないからダメ」などとその子の発達や意欲を考慮せず一律に禁止するのではなく、子ども自身のやりたいという気持ちを尊重すべきです。
やりたいと思ったことは挑戦していい、人生は自分で決められるといった子ども自身の決定権を尊重した態度と文化が必要です。
それでは勝手にやらせておいていいのか。
答えはNOです。
保育者は子どもの発達と個性、行動特性を理解して、安全を守る義務があります。
個別の能力を判断し、適切に働きかける必要があります。
時に支えて、時に見守り、時に制止することも必要かもしれません。
困難と見えても挑戦したいという気持ちを尊重した上で、個別に対応することが求められるのです。
本当の意味での支援です。
やりたいことをさせるというだけの支援ではなく、子どもが大きくなりたいという成長欲求を支え、成長発達権を守るのです。
仲間と協同で取り組む
自分たちで木の枝を集めてきて試行錯誤しながら遊び場を作っていました。
力を合わせて工夫することの困難と素晴らしさを学ぶのです。
保育者は遊びを保証し、時に手を貸し、子どもたちの主体性を阻害しないようにしながら遊びを提案したり、見守って、遊びが豊かに発展していくように援助します。
これこそが保育の醍醐味であり、遊びを通した学びを支援していくということなのです。
これには経験も必要ですし、それなりの集団に対するアプローチ、保育技術が必要です。
保育現場においてその難しさと合わせて保育の醍醐味についても共有できると保育者のやりがいにもつながります。
関りを通して学ぶ
一触即発の場面です。
拾った木の枝をめぐっての対立です。
これも子どもたちにとっては大きな学びの体験です。
自分の想いを相手に伝え、相手の気持ちを知る。
違いを知り、言葉で態度で全身で伝える。
その中で、時に我慢したり、譲ったり、交渉したりして人と関わるということを学ぶのです。
「喧嘩の場面はどうしたらいいですか。」
という質問を受けることがあります。
喧嘩と言っても相手や自分を傷つけるような場面であったとしたらすぐに止めるべきです。
少なくとも、止められる距離で状態を見極めるべきです。
しかしながら、これは喧嘩という対立の場面です。
対立は悪いことばかりではありません。
またとない、人と関わることを学び、練習する絶好の機会です。
それを「喧嘩はダメ」と言って止めたらどうでしょう。
せっかくの学習の機会を奪ってしまうことになります。
だとしたら、私たちはその場面と状況、お互いの行動特性をよく理解した上で、適切に働きかけることが求められます。
一つ間違えば大きな怪我につながるかもしれない。
かと言って体験の機会を奪ってしまったら、その子たちの学習の機会まで奪ってしまうことになる。
だから、経験と高度な専門性が必要なのです。
大丈夫。
子どもたちには力があります。
対立を力に変えることが出来ます。
子どもたちが育つ力と合わせて、子どもたちがより良くなろうとしていることも信じてあげられることが現場の保育者には必要なのかもしれません。
このように保育者には学習内容に応じた働きかけが求められ、それは子どもの遊びをどのように捉え、どこに向かうべきなのか保育の目的とそれを達成するためのち密な計画が必要だということは言うまでもありません。
臨機応変ということをその場の思い付きという人がいますが、高度な保育は思いつきなはずがありません。
長い経験と高度な専門性に裏付けられた芸術とも言うべきすばらしき保育を知っています。
それこそが人間にしか出来ない保育の醍醐味なのであります。
どうかそんなすばらしい保育が広まり、子どもたちの笑顔と保育者のやりがいで満たされた幸せに貢献出来ることを願っています。
滝山ネイチャークラブ
森のようちえん・ソトアソビスクール
代表 堀岡 正昭