子どもと遊ぶことは悪いこと?

遊びを盛り上げる

遊びをリードし過ぎて子どもが遊びの客体になってしまっては本末転倒ですが、子どもの遊びの傍観者ではいけません。

「子どもが遊んでいるんだから見守っているだけでいい」

という考えがありますがそうでしょうか。

私たちは、子どもの遊びをつぶさに観察しないといけません。

連絡ノートを書いていたり、パソコン作業をしているのは観察しているとは言いません。

やはり保育者は子どもの遊びをよく観察しましょう。

「遊びに入り込み過ぎると子どもの遊びが壊れる。」と言って離れたところから見ているだけの人がいます。

これも違います。

私たちは遊びを見ているだけではないのです。

遊びを通して子どもの内面の変化や体調、関係性を捉えなくてはいけないのです。

そんな離れたところから読み取れるほど、私たちはエスパーではありません。

子どもに寄り添い、子どもと遊び、子どもが感じていることを我が事のように感じるから、子どものことが理解出来るようになるのです。

経験とテクニックだけで出来るようになるわけではないのです。

なんでもくっついて遊べばいいと言っているのではありません。

子どもとの距離感はセンスです。

時に間合いを置いたり、時に寄り添い、子どもとの心の距離を測るのです。

これが出来ないと子どもに煙たがられたり、大事なことを見落としてしまったりするのです。

見守る保育などと言って、子どもを遊ばせる環境を作って満足し、保育者は事務作業をすることがいい保育につながるとは思えません。

子どもの環境は刻一刻と変化する子どもの内面の変化と関係性によって常に再構成し続けなければならないのです。

人手不足により、業務省力などと言って、保育時間に事務作業をする効率化を求める職場は保育の質の低下を招きます。

子どもは物ではないのです。

保育業界の職場環境が整備されず、保育士が疲弊している現場も知っています。

その改善を効率化に求めるのではなく、保育理念の浸透と新しい保育制度の仕組みを創っていくのが滝山ネイチャークラブの森のようちえんの試みです。

楽しかった保育に疲れたり、思い描いた保育と現実の違和感を感じたら、ソトアソビスクールに来てご自身が保育を志した頃を思い出してください。

保育はすばらしい。

最幸にやりがいがある。

厳しくもやりがいのある仕事はそれに見合った対価を得られるのが社会の仕組みです。

価値ある仕事は高い報酬を得られるから、私たちは自分たちの仕事を社会に還元してより良い社会につなげるのです。

情熱ある現場の保育者、夢と希望にあふれた若い学生さんたち、お待ちしています。

滝山ネイチャークラブ

ソトアソビスクール

代表 堀岡正昭

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