なぜ、釣りをさせるのか。

僕は釣りが好きだし、子どもたちを釣りにも連れて行く。(最近は自分ちの子は付ついてきてくれないので、もっぱらクラブの子たちばかりだが)
なぜ釣りに連れて行くのか。なぜ釣りを体験させるのか。
もちろん、自分が好きだということは大きい。それ以上に保育者として教育的価値や意味をどう説明するのか。
それは命の教育なのだ。

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小さくても自分たちで針を外させる。釣れたら針を外すには魚をしっかりつかまえないといけない。両手でしっかりつかまえないと魚は暴れてしまう。奥まで針を飲み込んでしまうと技術的にも難しいので、こちらも手を貸す。時間がかかってしまうとバケツの水の中に入れても弱ってすぐに動かなくなってしまう。
そう、すぐに外してやらないと苦しんでいる姿を見ることになる。もちろん、最後には、しめて、さばいて、食べてしまうんだけど、それも命の教育。ちゃんと全部食べてあげようよ、残さないで食べようよ、というのはこういうことなのだと思うのです。僕が連れて行く子たちは本当によく釣った魚を食べてくれる。自分が釣った魚というのは大きい。同時に生き物をいただくというのはこういうことなんだということを解って欲しいと願う。
そういったことを総合的に考えるから、釣り堀でのマス釣りになるんだと思うのです。だから、マス釣りに連れて行くんです。
でもね、理屈抜きに楽しいよ、釣りは。マス釣り、最高!

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