魚をさばく体験から食べる体験へ

調子に乗ってもう一丁。
うちは子どもたちに包丁で魚をさばくのもやらせる。

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もちろん、教えて、見守り、子どもに応じて援助、手出しを変えている。
子どもたちの「やりたい!」という動機付けがもっとも大事なんだけど、釣った魚をしめる、さばく、食べるという過程がとても重要なんだと考えるからなんだ。
以前、その写真を見た人から、「今日日、凶悪な犯罪がある中で、子どもに刃物持たせて、こんなことさせるなんてどうなんだ。」という指摘があった。
一見、戦前生まれの年配の人にこういうことを言われたことがなかったので、最初は褒められるのかとすら錯覚したほど。これがまだ、こうした遊び、体験のない、若いお母さん(今はお父さんたちも)から言われるのならまだしも、こうした体験の重要性を肌で感じて知っているはずの世代から言われたときには正直、がっかりした。と同時に、「やっぱりこうした体験、絶対続けてやる!」と燃えたものだ。
刃物は危ない。使い方を誤ると人を傷つけ、容易に人の命をも奪ってしまう。だからこそ、我々は体験を通して伝えなくてはならないのだ。「刃物は危ない!」「間違って使うんじゃない!」「でも、しっかり学べばそれはとても便利で有効な道具だ」と。
刃物の使い方もさることながら、魚をさばく体験を通して、生きものをいただくということ、命の教育につながればと思わずにはいられない。

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