体験の中身を追求する

自分で決める体験

子どもには遊びを通して自分で決める体験をさせよう。
どんなに優しく「この遊びをしましょうね。」「こうした方がいいよ。」と言ったとしても、子どもに自分で決める体験をさせなかったらそれは遊びの中で必要な経験の半分もしていないことになる。
子どもが自分で決める権利を認めてあげよう。
また大事なことは、子どもが決めようとしている時、どうしようか考えたり、葛藤している時にはその思考を邪魔しないことである。
誰にも邪魔されず思考することを保障し、自分で決めるのを待ってあげることだ。

とことん遊びこむ体験

私たちは子どもに、とことん遊ぶ権利を保障しているだろうか。
保育者は子どもにとことん遊びこむことを保障しよう。
子どもの発達と一人一人の行動特性を理解し、子どもの興味関心に沿って大いに遊びを盛り上げ、場を調整し、子どもの体調や疲労度を見極め、適切に切り上げていくことも重要な役割の一つだ。
これについては近年欧米でも研究が盛んなGuided playを柱にした「遊びの盛り上がり曲線」に応じた働きかけの技術が必要となってくる。

自分たちで遊びを創り出す体験

自ら環境に働きかけ、工夫して、遊びを創り出す体験をして欲しい。
それこそが遊びのだいご味であり、おもしろさであり、人生を楽しむ妙技でもあろう。
子どもたちにとって魅力的な変化と刺激に富んだ環境を用意し、そこでの安全を見守りながら、子どもたちが環境に働きかけていく様子をじっくりと観察しよう。
大丈夫、心配ない。
本当に子どもにとって魅力的な環境を用意しさえすれば、子どもは自分から遊び出していく力を持っている。
大丈夫、子どもは大人が考えるよりもっと柔軟で楽しむ心を持っている。
やらせようとし過ぎないこと。
課題を与えようとしないこと。
大事なことは子どもと一緒に楽しむことである。

こうして考えてみると、自然の中に子どもを連れていくだけでは不十分であることが分かる。
そこでどんな体験をさせるかが重要となってくるのだ。
自然の中に出かけて、「ハイ、今日は〇〇遊びをしましょう。」などと言い過ぎてはいないか。
遊びが盛り上がっているにもかかわらず、「ハイ、お片付けにしましょう。」などと興ざめするような切り上げ方をしてはいないだろうか。
子どもが遊んでいるのをただ側で傍観的態度で監視していることを見守る保育だと勘違いしてはいないだろうか。
問われているのは、私たち大人が子どもにどんな体験をさせようとしているのか、また実際にさせているのか。
体験の中身が重要なのである。

子どもを自然の中で保育するというのは極めて高度な保育技術である。
その高度な保育技術をさらに高めていく努力を積み重ねていくことで社会的な価値を高めていこう。
ソトアソビスクールでは高度な専門性を志向し、社会的な評価を求め、子どもが安全で楽しく遊ぶことと、教育的な効果、保護者の満足、そして保育者自身のやりがいと地位向上を求めるものである。

そんな、楽しく、やりがいのある保育職を志す現場の先生方の挑戦を心から応援しています。
アドバンスコースでお待ちしています。

森のようちえんの滝山ネイチャークラブ
保育者の専門性を高め社会的地位向上を目指すソトアソビスクール
代表 堀岡 正昭

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