保育という仕事は、判断の連続です。
誰かがいつも指示してくれる業態ではないのです。
その判断の基準となるものが理念です。
理念に基づかない保育は独りよがりです。
理念は目的です。
目的達成のために効果的な方法を選ばないといけません。
保育という仕事が難しいのは、その選択において様々な判断基準に従って自らの責任で判断し、且つ実行しなければならないという点です。
ほぼ瞬間的に、その場の状況、遊びの状態、子どもの様子から最も的確な方法を採用し、即座に実行しなければならないのです。
状況・状態・子どもの様子
子どもの主体性を大事に、とは言っても公共の場や狭い場所で「走り回りたいから」という子を放置しておいていいでしょうか。
かと言って頭ごなしに叱りつければいいというものでもありません。
保育・教育の目的は人格の完成です。
彼ら彼女らの人権を守り、小さくても自尊心を傷つけることなく、その場の状況を伝え、行為を禁止・規制することも必要です。
私たちは遊びを大事にします。
それは子どもにとって遊びは最も効果的な学習であるからです。
片付けの時間かもしれません。管理上、みんなと同じ行動をしてくれないと困るという事情もあるのかもしれません。
でも私たちは子どもの遊びを大事にしようと思ったら、遊びの状態を見極め、ほんの少し待ってあげることは出来ないでしょうか。
ほんのちょっと待ってあげられたら、子どもは満足して遊びを切り替えられるかもしれません。
この子に言うことと、あの子に言うことが違うことがあります。
それは不平等でしょうか。
そもそも子どもは違うのです。
大きい子に言うことと、小さい子に言うことが違うのは当然です。
同じ年齢でも発達が違うので、配慮や援助が異なるのは当然なのです。
私たちは、子どもの発達や個性、行動特性というものを理解した上で、個別の対応を求められるのです。
観察・判断・実行
様々な判断基準があり、難しいかもしれませんが、それを手助けするのが、観察です。
子どもの様子をよく観察しましょう。
遊びの状態、その場の状況を観察すれば自ずと見えてくるものがあるはずです。
そして何より判断・実行のモデルが目の前にあるのではないですか。
先輩職員や他のスタッフの行動です。
「どうしたらいいんですか?」という問いには、
「自分で考えてみよう」と答えます。
「分からないから聞いているんです。」という問いには、
「見て真似てみよう」と答えます。
何も教えないということではなく、判断の機会を奪わないということなのです。
観察し、自分なりに予測し、自分なりに見立てて、判断していくのです。
最初は判断が甘かったり、間違ったりするかもしれません。
それでも、その判断の経験を繰り返すことで自信につなげて欲しいのです。
そして観察・判断・実行のサイクルを早めていくことが能力の向上につながります。
そうやって野外に子どもを連れ出すスキルを磨き、子どもと笑顔で関わることの出来るチームを作れたら最高だと思います。
ソトアソビスクール
堀岡 正昭