遊び方

大縄跳び
大縄を回して、子どもが入る位置ってありますよね。
あれって、回す人の近くじゃない?
よく回す人の横に立たせて、縄の真ん中辺りに○や×描いて、「そこめがけて走って、両足で跳んで」って言って。
それなのに、縄に向かって正面から入ると跳べないじゃない?(まあ、跳べる子は何やったって跳べるんですけど、今言っているのは跳べない子の場合だから)
大縄跳びの跳び方、入り方、回し方っていうのを実はみんな知らない。そもそも自分が子どもの頃、遊んでいない。(そういう自分も子どもの頃、大縄なんてやっていない。)今のお父さん、お母さんの世代が、遊びを経験していないというのは、野外で自然体験やっていると本当に気づくことだけど、保育者の中でもそれは起こっている。でも、職場で遊びや活動を見たり、聞いたり、やってみたりする中で、遊び方、遊ばせ方を伝承されたりしてきたはずなんだけど、大縄跳び一つ取っても伝承されていないことに気づく。
で、「実はこうなんだよ。」というと、「でも、こうなんです!」と反論して素直に言うことを聞かないか、全否定されたかのように感じて、落ち込んでしまう。いやいや、助言というか本来こうなんだよって教えてあげただけなのに、打たれ弱いというか、反論したりするのも容易に自己防衛しているだけっていうのが気の毒なくらい分かる。コミュニケーションの中で自分と違うということを受け入れたり認めたりということがなんと困難なのか。
このことはさておき、遊び方、遊ばせ方、活動の展開、組み立てというものを伝えてこなかったということに気がつく。そもそも、「見守る保育」は、遊び、活動という点で足りない。もちろん、保育者の基本的な態度や保育のあり方という点では学ぶ点は多いだろうが、真新しいことではなく、保育の基本と言えば基本。保育は「見守る保育」だけでは説明がつかない。遊び、活動、というものを伝えていかないと、後ろ手に子どもを監視することが「見守る保育」だと勘違いする保育者が出てこないとも限らない。

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