遊びを切り上げる

人間の営みって、結構フェードイン、フェードアウトしていくもの。もう少し言うと、ブレーカーを切るみたいに時間だからってパッと遮断されるものでもないのではなかなということ。「そんならボチボチ終いにしましょうか」なんてこと、結構あるんじゃない、大人でも。
遊びを「時間だから」という理由で、打ち切っていいのかなということ。別の例えで言うと、終業時間が来ました、ハイさようならって、どうなの?みたいな。
もちろん、学校行ったら、始業のベルで始まり、終業のベルで終わるんだから、小学校の予備校保育園、幼稚園はベルで子どもを動かすことに慣れていくんだろうけど、それって子どもに合っているの?みたいな。それを言うと、学校の制度がどうなの?となるけど、ここではさておき、幼稚園・保育園の幼児にとってベルを合図に子どもの活動が終わるのって、やっぱり納得できない。そうMちゃんは言っているんだと思うんです。「ボクはもっとやりたいのに」「もっと遊びたかった」って。そのことの気持ちに寄り添おうともしないで、時間だからと終業のベルで遊びを切り上げさせられちゃうもんだから、もやもやしちゃう。何も自由気まま、好き勝手にさせようと言っているんじゃない。彼の気持ちに寄り添い、「楽しいね」「もっと遊びたいね」「でもそろそろ時間だね」「そろそろ終わりにしようか」「またやろうね」そんな会話を交わす中で、うまくいくときばかりとは限らない。「やっぱりもっとやりたい」となるときもある。大変だけど、きちんと丁寧に彼と対話し、ときに仲間の力を借りて、「もっとやりたかったけど、終わりにする」なんて、彼が自分自身との自己内対話の体験が持てるよう重要視したい。そのことが、不満をためながらも、見た目ききわけの良い子どもを育てるよりもはるかに大切なことだと信じます。

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