都立小平高校の入学式で、校長先生が
「いいですか、保護者のみなさん。高校生になったからと言って『子どもの主体性に任せて』なんてこと言っちゃあいけません。しっかり子どもさんと向き合ってください。」
なんて趣旨のことを話されたそうだ。
幼児教育、保育界においては‘主体性’全盛。何でもかんでも主体性。
子どもが窓の桟に乗って危なくても「この子が乗りたいって言うんで。主体性が大事ですものね。」
天気の良い日に子どもが部屋の中で遊んでいても「この子、外に出たくないって言うんで。子どもの主体性を大事にしないといけないんですよね。」
公共の廊下で子どもが走り回っていても「子どもの主体性なんで、注意しないんです。」
はあ?主体性?何を勘違いしとんのか?
私たちはこの「似非主体性」に反対します。
「似非主体性」から「脱主体性」へ。
放ったらかし、勝手気ままのしたい放題が主体性ならそんなもん、いらんわ!
主体性と言うなら、保育者の主体性はどこへ!
「園長先生、どうしたらいいんですか?」「去年、どうやったんですか?」「そうしようと思っていたんですけど・・、ブツブツブツ」
主体性というなら保育者がまず主体的に保育しましょ。主体的に生きていきましょ。そうすると必然的に「どうせ」とか「だって」とか「でも」「しかし」という言葉は発しなくなるものです。
保育界に巣くう似非主体性と一線を画ためにもしばらく主体性という言葉を使いたくありません。子どもが主体的であることは認めても、主体性に任せきりではよくありません。
子どもとしっかり向き合おう。
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