子どもの見方、物の捉え方

子どもにこうさせなきゃいけない

色々あると思うのですが、それって本当にさせなきゃいけないこと?

 

座ってお話を聞きましょう。

集まりましょう。

並びましょう。

みんながやっているんだから、一緒にやりましょう。

 

本当にさせなきゃいけないことでしょうか。

それをさせると何か子どもにとっていいことがあるのでしょうか。

「だって、幼稚園や保育園(小学校も含めて)は集団なんだからそうさせないとだめじゃないですか」

 

物の考え方が間違っている。捉え方が間違っている。

幼稚園や保育園、小学校も含めて、教育の目的を知らなさすぎる。

先生たちに聞いてみたい。

教育の目的は何ですか。

幼稚園教育要領とか保育所保育指針の改定がある度にその勉強会が行われている。

それが悪いとは言わないけど、その上位にある教育基本法を学びましょう。

教育基本法には書いてありますよ。

教育の目的は「人格の完成にある」と。

子どもを泣かせてまで座らせて話を聞かせることにどんな意味があるのですか。

怒ってまで集めて、並ばせて、その子の人格の完成に近づきますか。

みんながやっている同じことを同時にさせましょうと、要領と指針に書いてあるのですか。

 

アチーブメントの青木氏は、「間違った考えなんか尊重しない。その人の人格を尊重するのだ。間違った考えなんか尊重してはいけない。間違った考えは徹底的に指導するんだ。」という趣旨のことを仰っていました。

「ありのまま」という言葉だけが独り歩きして、間違って解釈され、考えや意見を受け止めるということを、相手の意見や考えに反対の意見を述べてはいけないと捉えている人がいる。

極度に人との対立を避ける現代の風潮とマッチしていると言えばそうかもしれない。

 

その結果、犠牲になるのは子どもたちです。

眠たくないのに無理やり横にさせられて、お昼寝させるのは間違っています。

こちらの言うことを聞いたら、あなたの言うことも聞いてあげますというような条件付きの行為も間違っています。

子どもの欲求や発達特性を認めず、言うことを聞かせようとするのも間違っています。

間違った考えを改めない限り、教育の目的を達成できないばかりか、自分自身も幸せにはなれないのです。

 

だって、誰だって初めから怒ってばかりいる先生になろうと思って先生になった人はいないんです。

誰だって子どもが笑顔で遊ぶことが良いと思っているからなんです。

そのときに言い訳して、「だって集団保育だから」とか「だって小学校に行ったら困る」と言って、人のせいにしている。

子どもの発達を理解して、一人ひとりの行動特性を深く理解し、適切に働きかけていく技術の向上を怠っている。

 

ぜひ多くの人にソトアソビスクールで、子どもの発達を理解し、一人ひとりの行動特性を理解した働きかけの技術を身に付けて欲しいと願っています。

子どもの欲求を適切に満たして、教育の目的達成のために効果的な教育方法を採用する技術と経験を身に付ければ、やりがいと誇りある仕事が待っています。

 

毎日子どもと関わることが楽しくて楽しくて仕方がない。

本来、そんな仕事を目指していたはずなんです。

そんな働きがいと高い報酬を求める向上心ある日本全国の保育者とその養成課程の若者を対象にソトアソビスクールを開校しています。

資格も経験も不要です。

必要なのは学ぶ意欲です。

ソトアソビスクール

堀岡正昭

 

 

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