
選択の自由と言っても、本当に私たちは普段から子どもに選択する権利を保障しているだろうか。
「こっちの方がいいわよ」
「なんでそうするの!」
「あなたのためを思って言っているのよ。」
何も人生の選択なんて大きな選択じゃなくていい。
何をして遊ぶか。
それをいちいち、報告すらしなくていい。
「これとこれとこれ、この中からどれをして遊ぶか選択してください。選んだらそこのボードに自分のマグネットを移してください。」
本当に選んでいると言えるのだろうか。
選択させてはいるけれど、それで本当に子どもの権利を保障しているのだろうか。
自分で選んだことをいちいち報告しなくてもいい。
もう一つ。
それは優しい顔をしてやってくる。
「先生、出来ました。」
「そう、でももっとここにもこう描いてごらん。〇〇は赤色でしょ。だからここは赤色じゃなきゃ変よ。」
どんなに優しくしてもまずは無条件で肯定しないと。
案外というか、気が付かないくらいに本当に肯定から入っていない。
一度みんな自分の声を録音してみるといい。
どんなに子どもの声を肯定から入っていないか愕然とするだろう。
「描いたね。いっぱい描いたね。〇〇を描いたんだね。」
それだけでいいはずなのに、そりゃ自己肯定感、上がらないわ。
学校や保育園、幼稚園だけじゃない。
授業の時だけ「選択制のカリキュラム」です、と言っても、給食の時間になると「『〇〇ちゃんの隣がいい』なんて言うのはわがままです。」それじゃあ形だけの選択制なんだね、となる。
選択制です、ということが大事なのではなく、子どもの権利として選ぶということをどれだけ保証しているということが重要なのだ。
学びの場を選ぶとか、自分の居場所を選ぶと言うけれど、そんな大きな大決断じゃなくていい、身近なところから、自分で選ぶということをきちんと保障しよう。
それは口で言うほど簡単なことじゃない。
誰と遊ぶか、何をして遊ぶか、始まりも終わりも自分で決められる。
まずはそんなプチ選択の経験をさせよう。


