おそらく事故、怪我が起きる園とそうでない園との違いは数mの違いだろう。
みんな子どものことを見ているんです。
事故、怪我が起きる園、先生は5m先で見ている。
もしかしたら腕を組んだり、腰に手を当てて見ているかもしれない。
そして、事故、怪我が起きた瞬間、もしくは起きた後にこう言うんです。
「危ない!」と。
これが全国の幼稚園、保育園で起こっている事故、怪我の場面です。
経験豊富な子どもの安全を守る先生は、事故、怪我を予測し、体が自然と危険な場面に向かいます。
そうして本当に危険な場面にはどんどん近寄って、1m、もしくはその子に触れるくらい近づくんです。
そして危険を回避し、何事もなかったような顔をします。
みんな見ているんです。
数m先で。
保育はもっとフットワークを軽くして、動かないとだめ。
監視員じゃないんだから一所で突っ立っていればいいというもんじゃない。
最初はやみくもに動くだけ。
そのうちセンサーが敏感になり、大事な所に動くようになる。
何も危険な箇所とは限らない。
子どもの遊びが盛り上がっている所。
援助が必要な所。
先生がにっこり微笑んでいるだけで肯定的な雰囲気が形成され、子どもたちの自由な遊びが盛り上がる所。
それらを経験豊富な先生方は実に敏感に感じている。
そして、動いている。
それは怪我をさせたら怒られるからという理由などではない。
動かずにはいられない本能に近いものになる。
動くことで、子どもの安全が守れたという安心と喜び、自分自身への自信が高まり、これを繰り返すことで動くことの精度がより高まる。
精度が高いから無駄に動くことも、失敗(事故)に終わることもなくなる。
それでいて、実に目立たない。
保育者の動きとは本来、子どもの安全をさりげなく守る影となる動きでもある。
先生が目立ちすぎる園は先生の評価は高くても、子どもが本当に学習しているかどうかは別である。
経験豊富なベテランの先生方は理解していただけるはず。
そうそう、そうよね、と。
保育者の動き、専門性、そのパフォーマンスにおいては、シュタイナーだろうが、モンテッソーリだろうが、森のようちえんだろうが、普遍でどこでも通用するものがある。
それを身につけた保育者は、園の文化や方針、場所や地域性を超えて同じ土俵で語り合えるものだと信じる。
みんな伊達に保育をやっていない。
そんな保育者の経験から得られる技術が継承されていない。
園長先生と話していて、そう感じます。
日本中の園から防げる事故は防ぎ、経験させる必要のない怪我をして痛い思いをする子どもを減らしたい。
その技術と経験がある先生方と保育を共有していくことが急務であると感じます。
今保育がどんどんものすごいスピードで劣化している。
質がどんどん落ちている。
子どもに対する言葉がけ、対応、そして安全のためのルーティーンを広め、保育の質を向上させようとしないと今に保育界がだめになる。
本当は、保育って本当に面白い。
やってて良かったと思える。
そのことを保育者や保護者と共有できると嬉しくなる。
そして本当はそんな園がもっともっと評価されていい。
メディアも社会も、もっと保育の本質を見抜く力を持たないと、目立つことをやっている園、発言力のある園長先生の園、インスタ映えする園ばかり取り上げていたんじゃ、自分たちの子どもを取り巻く園の環境は良くならない。
実に地味だけど、安全を守る先生方の動きに注目。