お昼寝明けにたまたま入ったクラスで、年長のTくんが声を荒げて怒っていました。相手は同じく年長のRくん。今にもくってかかりそうな勢いのTくん。それを押さえる保育士。「言った」「言わない」、「謝れ」「謝った」の喧嘩。ここはとりあえず自分に任せてもらって話を聞くことにしました。Tくんは興奮して「言った!ごめんねって言うんだよ!」と今にも突っかかりそうなので、順番に話をすることにさせました。「順番に話をしよう。まずはTくん。」「だって、ごめんねって言わなきゃいけなんだ!」「Tくんだって!」
「じゃあ、次はRくん」
そこへTくんが「ごめんねって言うんだよ!」と言うので、「順番!」「次はRくん!」と制しました。
しばらく話を聞いても平行線のまま。Rくんの方が「もうおやつ行く」と言い、うやむやのまま、2人はそれぞれおやつをもらいに行きました。
とにかく、一触即発の状態なので、担任の先生たちが「こっちとこっちで離れて食べて!」と。
そこで、それぞれの食べているところに行って、本人たちの意志を確認しに、話をしに行くことにしました。
「もっとやるか?」「やるなら見ているところでやろう。」「どっちかやらないって言ったらなし。」
Tくんは初めから収まりがつかないので「やる!」と言い、Rくんも「パンチとかキックとかはなし。見ているところで勝負しよう。」と言うと「やる!」と言うので、勝負させることにしました。と言ってもタイマン勝負じゃないので、相撲でケリをつけさせます。(昔からこういう男の子の喧嘩の場合、よく相撲させました。)園長先生にも事情を説明し、本人たちもやる気。(この頃には興奮もおさまり、楽しい遊びにでも行くかのような高揚がありました。)するとそこへうちの昭和一ケタ生まれの会長が現れ、「おっ、先生、元気な子がいるなぁ。」と言うので、「えぇ、会長、今から元気な親友たちが相撲で勝負しようというので、しっかり審判したいと思います。」すると2人も「がんばります!」なんてお辞儀するもんだから会長も「いいねぇ。先生、しっかり見てくださいよ。」と応援してくれました。(うちの会長も古い人だからこういうのは応援してくれる。)
Rくんも「先生、テープで線引かなくっちゃ。」なんて、盛り上がっちゃって。
場所を広いホールに移して、土俵を設定。テーブルをどかして3人でテープを貼って円を作り、土俵作り。
四股踏んで、塩まいて、「にぃしぃ~、T関。ひがあしぃ~、R山。」
なんてやって、「見合って見合って、はっきょ~い、のこった!」
なんてやりました。もう勝負なんてそんな問題じゃない。2人で体と体でぶつかって遊んで欲求が満たされたのでしょう。
最後は「大人対子ども」2人がかりでも勝てない相手に、たまたま通りかかったKちゃんも交えて3対1でやって、倒されてあげました。
2人とも「勝った、勝った」と勢いづいて「今度は負けないぞ!」という私の後をうれしそうについてきました。
まずは、話をしっかり聞いてあげることが大事だと思います。欲求を満たさないで、力で押さえても良いことない。「そんなことすると図に乗って我が儘になります」というけど、言いたいことも言えず、やりたいこともやらせてもらえなかったら、自分の欲求も心の奥深いところに押し込んで、大人になっても呪縛にとらわれてしまう。優等生ほど苦しんでいる。大人になっても親になっても。心を解放しないまま。このことはまた別の所で。
次に、父性というものも必要。特に年長の男児など厳しくも温かい父性が必要。必ずしも男性である必要はないが、彼らの腕力を押さえられる厳しさが必要。(腕力が必要なのではない。彼らの情動を受け止められるこちら側の余裕、寛容性が必要なのである。)
とにかく彼らと向き合い、必死で闘い、ときに悩み、これで良いのかと自問自答し、積極的に働きかけていきたい。悩んだらまず動く。やってみて、良くなければやり方を変えればいい。
僕らは臭いものじゃない。蓋をしてはいけない。一度蓋をされると自分でも気づかなかったり、気づいてもその蓋をこじ開けようにも自分じゃどうしようもなくなる。
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