保育を語ろう、保育を伝えよう

保育を語れる人がいるということの嬉しさ

保育という、実に多様な営みにおいて、園の文化や地域、価値観の違いなど超えて、保育を語れる人がいるということが実に嬉しい。

立場や考えも違うので、「それは違う」ということはあるのであるが、それでも「そうだよね」と言えるということが専門性の高さであり、想い、情熱の深さだろうと思う。

問題はこちら側の伝える力の力量のなさ。

「いいとは思うんだけど、今いちよく分からないんだよね。ちゃんと教えてくれる?」

と言われても、こちらに伝える技術がなければ伝わらない。

やっていることを整理して、伝わるように伝える。

なんとも難しいことではあるが、それにトライできることも幸せなことである。

理屈ではない、実際に見てもらわないと伝わらないことはどうやって伝えよう。

 

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