時に間違いを指摘するということ

耳が痛い話かもしれない。
離れていくかもしれないし、嫌われるかもしれない。それでも言わなければならないことがある。言いたいことがある。伝えなければならないことがある。
現状肯定だけではだめです。向上志向、未来志向でないといけません。もちろん、現状肯定が基本です。「みんな違っていい」ただ、そのままで良いわけがない。どうなりたいか、どう目指すか、それがないとただの傷のなめあいになってしまう。
だから、現状肯定だけではだめなんです。
「ちょっと見ただけで、言わないでください。」と言う。
「僕たちだってがんばっているんです。」とも言う。
ちょっと見ただけか・・。ちょっと見ただけで分かることもあるんだけどな。
僕たちだってがんばっているんです・・。がんばってないとは言ってないんだけどな。人の話もちっとは聞けよ。もう、独りよがりのまずい方向、行ってるぞ。言ってもらえる人がいるうちが花だよ。
自分で向上していける人、外の世界に飛び出して、外の意見を聞いて、吸収していける人はいい。でもそうじゃない人は、どんどん悪循環で、どんどんどつぼにはまって、どんどんうまくいかなくなっているの、自分自身が一番分かっているんじゃないかな。それを指摘されると、「そんなこと、ありません。」となるのもよく分かるけど、もういい加減、変な意地を張ったり、プライドにぶら下がって、辛いだろ。
俺たちが若い頃は、「ばか、何やってんだよ!」とか、「ホリオカセンセイの(保育)、つまんないよな」って言われて、けちょんけちょんにやられて、育ってきたけど、今はそんな方法、通用するわけもないのもよく分かる。
信頼関係がベースだというのも。だから、信頼関係を築くのがもっとも大切だとも。そうじゃないのに、いろいろ言ったって、うまく行くわけがない。人との関係、対立、つながり、それらを面倒と思う君たちのことを思うと、ますます大変だなと感じる。でも、あきらめたら終わり。嫌われても、疎ましがられても、あきらめない。離れていけば、それこそ彼らのためならず。だから、熱い情熱で語ることが大切なんだとも。
でも時に、言いたくないことも言わなきゃいけないこともある。それは君自身が悪い訳じゃない。君の思考、保育観、子ども理解、そして具体的な行動に問題があるから。子どもを馬鹿にしない。子どもをあきらめない。未来を志向して保育する。そして、たった君たちの周り、1m四方だけは君自身が自由に、自分の思ったように保育出来る、そんなことが出来るのも保育という仕事の醍醐味だ。それは決して、人のせいにしてはいけない。出来ないこと、しないこと、やろうともしないことを園長や園、環境や人のせいにしてはいけない。だって、自分の周り1mは自分の世界だよ。それには責任を持とう。「だって、本当は僕だってこんな保育したい訳じゃありません」などとは言えない。
「忙しい、忙しい」「大変、大変」と、眉間にしわを寄せて、ため息ばかりの君たちに語ることそのものが、君たちを苦しめるくらいなら、それこそ、あの手この手で、伝えよう。ネットが有効なら、いくらでも書こう。ツィッター、ブログ、FBにLINE。いくらでも発信して、どれか一つでも引っかかってくれればそれでいい。子どもたちのため、未来のため、そして、自分たちのために。この3つの視点で、考えよう。一生懸命やっている君が、報われない、自分自身でやっていて虚しい、そんなのおかしいよ。自分も楽しんで、子どもたちのためになって、それが未来への社会貢献につながる。そんな仕事だよ、保育という仕事は。
そうじゃないとしたら、見直した方が良い。絶対、いい!人はふり返り、修正することが出来る。やり直しが利かない失敗なんてない。失敗したと思ったら、やり直せばいい。くり返すけど、自分が楽しくないなんて、きつい言い方だけど、それは間違っている。でも間違えたら、ふり返って、修正すればいい。その間違いを指摘してくれる人をも拒んではいけない。
僕は拒まれても拒まれても、あの手この手を変え、何とか、どうにかして、納得してもらえるように伝えようと思う。それは義務でもなければ、仕事でもない。それは好きな人に自分の想いを伝える作業だから。決してあきらめたくはない。
この素晴らしい保育という営みが1人でも多くの人に伝わるように。そして、1人でも多く、自分自身の呪縛を解き放ち、自由にのびのびと自分自身を謳歌して、楽しい保育を共に創り上げられたらどんなに良いか、そう思わずにはいられません。

LINEで送る

コメント

タイトルとURLをコピーしました