待つことの難しさ

以前書いた下書きがあったので、前後の脈略はないのだけれど、アップ。
待つ保育、とは言うけれど、何を待つのか。
見守る保育と言ったときに、後輩が「心の内面を見守るんですよね。それにはもっと距離を縮めないと見えてこないんです。」ということが印象的だ。
見守るとは「目に見える行為・行動を観察する、という側面と、目に見えない心の内面に思いをはせるという側面」があるように感じる。
待つ保育、と言ったときにも、我々は子どもの何を待つのか。
・自分で気付くことを先回りしない。
・子どもたち自身の問題解決を待つ。
・子どもたち自身の気付き、自発、選択を待つ。
・子ども自身がやろうとしていることは口出ししたり、余計な手出しをしないで待つ。
・答えを先に言わない。
→放っておけば、自分で気付いて回避する力があるにも関わらず、先回りしてその危険を取り除くようなことをしない。
→問題を解決する力があることを信じて、彼らに問題の解決を委ねる。
→自ら行動すること、その行動を決定する彼ら自身の選択に任せる。
→やろうとしているなら、余計な手出しや口出しは無用。我慢、忍耐。
→答えを教えるのは簡単。彼らが答えを求め苦悩しているのを見るのはこちらが辛いというだけ。彼らにとってどうか、それが我々の行動を決める基準。


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