そんな母は私の幼稚園、中学、高校と合計9年間、毎日お弁当を作ってくれました。
幼稚園の時は具体的な中身は覚えておらず、もっと可愛いお弁当箱がいいな・・・・と思いながら、
お昼ごはんを食べていた記憶の方が強く残っています。。。
中学の時は、周りの子のお弁当に入っている冷凍食品がうらやましかったです。
食べ切ると、底に今日の運勢が書いてあるグラタンやパスタがうらやましくてしょうがなかった。
母と一緒に買い物に行くと、食べたい冷凍食品を選んで買ってもらえる時もありましたが、
母は渋々といった感じだったので、買う回数は多くなかったです。
そもそも作った方が安いという考えだったのでしょうが、
中国の餃子事件から、母は本当に一切の冷凍食品を使わなくなりました。
今思えば、朝からちょっとだけパスタを茹でて炒めるなんて、相当な手間です。
今は心から感謝していますが、みんなのよりも可愛くないと、当時の私はちょっと不満でした。
でも、その思いを変えてくれたのは高校の友人です。
その子のお母さんと私の母が話す機会があり、友人のお母さんは
「いっつもうちの子が言うの。わかのお弁当はいつも色がきれいで美味しそうや〜って。」
と、母に話したそうです。
その友人は我が家に何度か泊まりに来たこともあり、
1回目に来た時に母が振る舞ってくれた手料理の中に、春巻きがありました。
母の仕事からの帰りが少し遅くなり、具を皮で包んでおいて欲しいと私はお願いをされ、
友人にも手伝ってもらいながら準備をしていました。
準備し始めた瞬間、友人は
「え、春巻きって家で作れるの!?ていうか、これを出来るわかがすごい・・・」
と言いました。
私にとっては、お弁当が全て手作りであることも、彩りがきれいなことも、家で春巻きを作ることも、
全て「当たり前」でした。
しかし、それが「当たり前」ではないと知った時、私がどれだけ特別で、
どれだけ恵まれているかに気付きました。
そして、大人になって一人暮らしをし、お弁当を作ってからようやく、母がどんな苦労をしながらでも人一倍、いや何十倍、何百倍もの愛情を注いでくれたかに気づくことができました。
子供がその場で相手の思いに気付くなんてことはできません。
こちらが教えてできることでもありません。
ここでできることとは、
期待なんてせずに、見返りなんて求めずに、
ただただ真っ直ぐに親が子供に愛情を注ぐだけ。
注いだら注いだ分、子供は成長する中で少しずつそれに気付いていくし、
気付かせてくれる人に出会えるとも思います。
だって、どんな誰よりも特別だから。
特別でいいなって、周りが思うから。
必ず気付く時がきます。
その特別は、愛情の積み重ねでもあり、中身でもあると思います。
毎日のご飯、お弁当を作ればいいってもんじゃない。
毎日それらをどんな思いで、どうやって作るか。
冷凍食品を使わないのもそう。
同じご飯でもサトウのご飯、家で炊いて冷凍したご飯、その日朝一で炊いたご飯、色々です。
どれが一番おいしいでしょうか。
赤い食材はミニトマトがいいかな、緑はブロッコリー・・・いや、ほうれん草かな、枝豆の方が食べやすいかな、
ミニトマトも黄色いのがあるな、やっぱり黄色といえば卵焼きかなあ。
食材や調理方法、その組み合わせは無限にあって、その中で食べられるもの、食べられないもの、調理方法によって食べられたり食べられなかったりするもの、子供によっても好みが様々です。
そこにどれだけ寄り添い、時には一緒に乗り越えてあげられるか、だと思います。
そして、作っている時に必ず感じると思います。
「これなら全部食べてくれるかな」 「今日は残してきちゃうかな」 「残してきたら次はどうしようかな」
この思いが愛情となり、お弁当の中身に染み込み、それを食べた人の体に、心に入っていく。
そんなイメージを私は持っています。そして、それが重要だと思っています。
「体は食べたものでできている」とはよく言ったもので、全くその通りだと私は信じています。
子供は無知で無力です。
だからこそ大人よりも自由に想像し、行動し、その姿から大人が学ぶことも多いのですが、
では、それだけで子供は生きていけるでしょうか。
知能や体力、学習能力の発達も未熟で、もちろんのことお金もない。
現実的に考えると、自分で自分をコントロールするのには不十分すぎるほど未熟です。
だからこそ大人の「管理」が必要だと私は思っています。
子供は自分が食べているものの中に何が含まれているのか、それが体の中でどうなっているのか、もはや食べているから生きているなんて考えてもないと思います。
「おなかは空くもの。おなかが空くから食べる。」くらいなのではないでしょうか。
おなかが空いた時、薬を飲んでも満たされません。
香りを感じて、味を感じて、しっかり歯で噛んで、ゴックンと飲み込むからこそ、
おなかを満たせるのです。
大切な子供のおなかを満たすもの、命をつなぐものを自分の目で見て、触って、切って、火を通して、混ぜて、お皿に乗せて、口に入れて・・・・
と、その一連の流れをしっかりとその目で確かめて、感じ取って欲しいです。
きっと、思っていたより・・・・なんてことが、たくさん肌で感じられると思います。
それを感じて、そこからどうするか、です。
私は今、スーパーやコンビニのお惣菜を作る会社に勤めているので、お店にある「おいしいもの」に何が含まれているかも知っています。
「簡単便利」にも裏があります。
母の手作りと自身の料理の経験、そして外の世界にある恐ろしさの両面を知っているからこそ、「手作り」にこだわります。
「手作り」、大変なことだけど無駄なんてことはない。
必ず、その愛情は子供に届きます。
先日、知人の娘さんは幼稚園のピクニックに行き、空になったお弁当箱にお手紙を入れて持って帰ってきてくれたそうです。
お弁当の写真も見せてもらいましたが、可愛いキャラクターのピック、うさぎ型のかまぼこなど、
たくさんの愛情が詰まっていました。
たくさん愛情を込めたから、ちゃんと気付いてくれたみたいです。
大人になるまでにも子供はちゃんと気付けるんですね。
私のように、母の料理や料理をする姿を見たことが、将来の夢につながることだってあり得ます。
子供は本当に大人をよく見ています。
また、大人も含めて、今生きているこの世の人たちには、たくさんの「おいしい」体験をしてほしいとも思っています。
どんな動物よりもあらゆる臓器が発達している人間だからこそ、そして今を生きている人だからこそ感じられる感覚です。人間に与えられた特別なものの一つだと思って、そして、子供はそれが発達段階にあり、どんどん冴えていくからこそ、大切にしていきたいです。
最後に、高校の友人が我が家に来て春巻きを一緒に作った日、母も帰宅して揃って食べた時には、
「まじで美味しい、すげぇ。」と友人が一言。
それから友人にとっても私にとっても、私の母の春巻きはこの世で最高の一品になりました。