やろうとしていること、やっていることを大事にする。
子どもがこれからやろうとしている時、やっていることを尊重して、保証してあげたいと思います。
子どもの主体性を尊重しましょうとは言っても、案外子どもがやろうとしているのに、「危ない」とか「もっとこうした方がいいよ」などと余計なことを言っているものです。
大人はとかく、何でも子どもにしてあげたがりです。
専門職になると、何かしないといけない不安にかられるものです。
その「してあげる行為」は果たして本当に子どものためでしょうか。
もしかしたら、自分自身の満足で合ったり、保護者や園長から何か言われるんじゃないかと自分自身を守る防御策から来る対応であるということはありませんか。
何もしないというのは勇気がいるものです。
しかし私たちは知っています。
何もしないで傍観、または見ていない状態と、子どもの挑戦をやきもきしながらもしっかりと見守る行為は、見た目は似ていても、本質的にはまるきり違う行為であるということを。
私たちは、子どもがやっていること、やろうとしていることをしっかりと見極め、注意深く見守り、傍でにっこり笑って微笑んだりして、肯定的な態度で見守ることに挑戦していきたいと思います。
大人言葉と子ども言葉
昔、今からもう30年くらい前になってしまうんですね。
幼稚園に勤め始めた頃、子どもたちを集めるのに、「整列!」とやっていると、「堀岡、整列って言ってもわかんないだろ?『集まれー』と言うんだよ。」と指摘されたのを恥ずかしくも思い出します。
そう、子どもたちを前にして大人の言葉、熟語を使わないということです。
子どもたちが理解できる言葉で話す。
大学を出たての普通のお兄ちゃんでしたから、何の抵抗もなく使ってしまうんですね。
それを全部、子どもが理解できる言葉に変換するのです。
最初は難しくても、特に熟語を使わないようにするだけでかなり意識が違います。
どうしたら伝わるだろうか?
子どもたちが理解できる言語というのがあります。
私たちはそれを探り、出来るだけ平易な言葉で子どもと関わりたいものです。
写真は、お弁当の後、絵本『ねんねだよ ちびかいじゅう』の読み聞かせをした後、もう一回読んで、と表紙をめくってきました。
2回読んだ後、絵本を手にして、自分でめくりながら絵本を読んでいる姿です。
私はこの姿が大好きです。
絵本を読んでもらって十分満足した後に、自分でも手に取って絵本を読む。
字を理解するとか、内容を理解するとか、そんなことではないのです。
読んでもらった絵本の世界の余韻にひたり、まだまだ絵本の世界を楽しんでいたい。
もう一度自分で手に取って、絵本の世界を旅してきたい、そんな風にも思えます。
これも、「子どもがやっていることを大事にする」ということにつながります。
もしかして、「これは何かな?」とか「この時はどうしてこうしたんだろうね?」とか聞いたりしていませんか?
子どもがお話の世界を旅しているのを邪魔したりしていませんか?
森のようちえんの子どもたちなら、「今、自分で読んでるんだから、黙っててよ」と叱られそうです。笑
子ども時代、知識や情報を増やすのはもっと後でもいいのです。
認知能力を育てるのではなく、非認知能力を育てるには、絵本の世界をたっぷりと楽しむ子どもに育てることです。
幼稚園・保育園はこの非認知能力を育てることをもう何十年もやってきたのです。
大丈夫。
ちゃんと子どものことを見て、分かっている園は、非認知能力を育てるプログラムなんて改めてやらなくても、ちゃんと育ってるのです。
保護者の皆様もどうかそこのところを見極めて、園を選んでいただけたらと思います。
すばらしい実践をしている園は、もう何十年も前から非認知能力、EQを育ててきたのです。
園も、自信を持って、園の実践がちゃんと大事なものを育てていますよ、ということを論理的、科学的、客観的に発信していくことも必要です。
子どものことをちゃんと理解している実践園が増え、理念発信、活動発信がさかんになることを期待しています。
森のようちえんの滝山ネイチャークラブ
代表 堀岡正昭