誰しも安全に子どもを遊ばせたいと考えます。
でも、あまり禁止や規制、指導性が強すぎる保育はしたくないとも考えます。
見守る保育と言いますが、いつも見守っているだけでは安全な保育は出来ません。
見守っていた方がいい場面と、見守っていてはいけない場面があるということです。
それらを見極められるのが保育の専門性とも言えますが、ここでは単純に活動の時間と子どもの疲労という観点で考えていきましょう。
活動の初期の段階、子どもがまだ疲れていない状態で、子どもが夢中になって遊んでいる時間帯は子ども自身の思考が活性化し、工夫や判断の精度が期待できます。
しかし、時間の経過とともに、体力が落ちて、疲労がたまり、思考が鈍り、判断力が低下してきたとしたらどうでしょう。
危険を察知する力、反応、判断力も低下し、事故や怪我の原因となる可能性があります。
だとしたら、時間の経過と子どもの疲労と言うのは保育者が注意しなければならない大きな要因の一つです。
活動の後半、疲労がたまってきた頃、保育者は目を離してはいけません。
緊張する場面です。
事故と怪我の原因が迫っているからです。
四六時中緊張している必要はありません。
子どもが夢中になって遊んでいる時間帯は子どもの方が工夫し、痛い思いや怪我をしないように、より遊びが楽しくなるように考えるでしょうから、比較的怪我は少ないものです。
週末の保育、夕方の時間、食事の前、活動の後半は怪我のリスクが急激に高まる時間帯です。
まずはこの時間帯、大人の配置を不用意に減らさないこと、子どもから目を離さないこと、適切に指導・配慮して子どもの安全と健康を守ることが保育者の役割とも言えましょう。
森のようちえんは自然の中で自由に遊ぶようちえんです。
でも、この「活動の後半」は適切に働きかけることが求められるguided playでもあります。
保育の質とは、単に自然の中で遊ばせるという森のようちえんという名称よりも、そのプログラムの中身が重要なのです。
どう遊ぶか(どう保育するか)
森のようちえんや見守る保育が子どもを保育するのではなく、どう保育するか、保育者の働きかけが問われるのです。
活動の終盤、どう働きかけ、どう声をかけ、子どもたちの満足と安全を両立させるか。
私たち保育者の力量が試される場面です。
笛を吹いて「ハイ、終わりでーす」と言うのは簡単。
それでは子どもたちの満足は激減です。
大人の言いなりに従う聞き分けのいい子どもを育てるのか。
信頼関係のある大人と一緒に満足いくまで夢中になって遊び、主体的に自ら遊び終える子どもに育てるのか。
私たちは大変難しい課題ではありますが、子どもたちに主体的に生きていく子どもに育って欲しいと願い、日々挑戦していきたいと思います。
安全で楽しい森のようちえんが広がることを願い、明日も子どもたちを自然の中に連れ出していきたいと思います。
森のようちえんの滝山ネイチャークラブ
代表 堀岡正昭