森のようちえんにおける指導性

森のようちえんは子どもの自由な遊びを主体とした幼児教育です。

また、子どもの遊びを大事にした見守る保育、待つ保育の重要性も説きます。

子どもを指導すること、教え込むことの弊害も説きますが、子どもに指導しない、してはいけない、教えてはいけないということでは決してありません。

待つ保育、見守る保育の課題は保育の一側面だけを捉えて、誤った保育方法が広がることです。

待つ保育と言ったら、何でもかんでも待っている。

森のようちえん ぴっころの中島先生も、「待つべき時と待ってはいけない時」と仰るように、場面と状況で働きかけなければならないのに、保育者が思考停止状態に陥り、待つ保育、見守る保育といったらいつでも、何でも手出ししてはいけないと誤った認識を持つ保育者が多いのも事実です

また、私たちは子どもと遊ぶことが子どもとの信頼関係を構築すると説きますが、子どもを守るべき時に子どもと遊んでいると守れないから、私たちはその場の状況を判断する力を求めるのです。

遊ぶときは遊ぶ、守るべき時は守る、指導すべき時はきちんとその指導力を発揮して、安全と効果的な教育の成果を達成しなければなりません。

保育は〇〇

手っ取り早く、分かりやすいワードで、保育の側面を伝えることはある一定の効果があります。

経験の少ない初心者には、その本質を伝える効果があります。

しかしながら、保育はそんな単純なものではありません。

・保育は子どもと遊ぶこと

・待つ保育

・見守る保育

・子どもの安全を守るにはきちんと指導しないといけない。

どれも正しいのです。

この働きかけをその場の状況、子どもの様子、遊びの状態を見極め、判断し、適切に働きかけていく力が私たち経験者の専門性です。

以前、保護者の方から、「ほりちゃんの森のようちえんは、自由だけど厳しいよね。」と言っていただいたことがあります。

私は(滝山ネイチャークラブを、堀岡正昭の保育を正しく理解し、評価して下さっているな。)とうれしかったことを覚えています。

自由だけど、放ったらかしではない。

ありのままのそのままでいいわけがない。

でも、指導云々ばかりだと子どももついてこない。

人と人との信頼関係が基本だから、子どもと遊び、子どもの気持ちに寄り添い、話を聞くスタンスが基本にはなりますが、子どもの主体性と子どもの権利を大事にしようと思ったら、教え込んだり、指導性の強い活動では、豊かな遊びは望めない。

だからと言って、災害時、危険な場面、子どもの主体性を大事にしますと言って、指導力のない先生に、誰が子どもを預けるというのでしょうか。

保育は〇〇といって、一言で伝えると分かりやすさと引き換えに、影響力の強い人が使うと、影響されやすい、特に思考停止に陥りやすい人にとっては誤った方法をしかねない危険性があるのです。

保育者自身が判断する力が問われているのです。

その保育観は間違ってはいないけれど、万能ではないこと、場面と状況に応じて最もベストな方法を選択する力が問われているのです。

森のようちえんや子どもの主体性を尊重する自由な保育の園であっても、保育者の指導力は必要なのです。

その指導力を振りかざして、子どもを意のままにコントロールしようとしているとしたらその指導力は子どものためではなく、保育者自身の保身や自己満足のためかもしれません。

普段は指導力とか、指導性などを前面に出す保育ではないのですが、昨今の社会背景から保育の安全性を考える上で、保育の一側面としての指導性について発信しなければならないと感じました。

保育とは様々な力を要求され、非常に高度な専門性を必要とされる難度の高い職業なのです。

子どもが好きなだけで出来る仕事ではありません。

情熱だけで食べていける仕事でもありません。

高い技術力とそれを支える人間愛や目標達成に必要なマインドを要求される高度で誇りある仕事なのです。

その技術はどこで磨くのでしょうか。

そんなマインドはどこに行けば触れられるのでしょうか。

その仕事はあなたの技術を高めることに貢献するでしょうか。

職場の仲間はあなたのモチベーションを高める、向上心ある職員集団でしょうか。

滝山ネイチャークラブのソトアソビスクールで獲得して下さい。

仕事のやりがいとそれを達成する技術を。

少人数で行う野外の幼児教育が未来の教育のモデルとなります。

もしも、今のコミュニティに「もうだめだ」と思ったらチャンスです。

なりたい自分になれるきっかけです。

共により良い保育を目指しましょう。

明日のあなたが待っています。

滝山ネイチャークラブ

代表 堀岡 正昭

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