代表「今日のひとこと」

  • 大切なのは子どももそうだが、大人自身もよく考えて、自分で判断し、主体的に取り組むということ

  • 子ども主体という言葉だけが独り歩きして、保育者が自分たちの仕事を放棄してもいいということではない。

  • 子ども主体という保育があるが、そもそも、子どもを主体者として捉えていなかったってこと?
    遊びの主体は子ども自身であるが、保育を行う主体者は園長先生でも、保護者でもなく、保育者自身である。

  • 子どもを自然の中で保育すること
    安全を最優先したプログラムデザインとそれを実行できる保育技術と経験を持ち合わせていること
    子どもとか保育者を超えて、また園長や職員といった雇用上の役職でもなく、すべての人が主体者となって保育を楽しむこと

  • 滝山ネイチャークラブ代表 さんが新しい記事を投稿しました。 2023年9月22日 11:53 AM

    保育を振り返る 活動を振り返ったらいいと思うんです。 なぜって、基本的に保育は楽しいんです。 その楽しい保育を振り返るってことはリプレイ、もう一度体験できるってことなんです。 楽しいことを一度の体験で済ませたらもったいない。 もう一度振り返って、あの楽しさをもう一度体験してみてはいかがで […]

  • 意味はやってみなけりゃ分からない。

  • 週末ソトアソビ
    週末親子でソトアソビ
    何も特別なことはしなくていい。
    大好きな人と一緒に外に出かけよう。
    休みの日にはソトアソビ
    そんな文化を創る。

  • 訓練しなければならないのは、園児を対象にした置き去り防止装置のSOSボタンの押し方の練習ではなく、子どもを降ろした後の先生方の車内の確認方法の周知徹底ではないでしょうか。

    • いつの間に園児は自らの命を守るためにSOSボタンを押さなければならなくなってしまったのだろう。
      園児の命を守らなければならないのは園の先生方であり、我々大人の方です。

  • 滝山ネイチャークラブ代表 さんが新しい記事を投稿しました。 2023年9月20日 12:26 PM

    意識をそこに向ける バスの運転手さんが発信させる時や右折の際など、指でドアミラーを指しているのを見たことはないでようか。 指差し確認ですね。 車が来ていないか、歩行者はいないか、確認しているんですね。 中には「よしっ」と言って声を出している人もいるかもしれません。 これは動作を付けることで、 […]

  • 週末、親子でソトアソビ
    その文化を作り、広げるためにやっているんだと思う。
    週末は親子で公園に出かけよう。
    森のようちえんの子どもたちはそんなお父さん、お母さんにきっとなるだろう。
    ソトアソビスクールに参加する人たちはそんな社会を支える大きな力となってくれるに違いない。
    今できることを精一杯やるのが仕事だから親子じかんも手掛ける。
    週末、親子でソトアソビ
    そんな文化を作っていく。

  • 滝山ネイチャークラブ代表 さんが新しい記事を投稿しました。 2023年9月17日 9:10 AM

    「大好きだよ」と言葉で伝えること今日は9月生まれの誕生会を行いました。 思い返してみてください。 子どもが1歳とか2歳の頃を。 もう毎日、顔を見ては「大好きだよ~」と言っていたのではないでしょうか。 それが大きくなるにつれ段々少なくなっていき、小学生にもなるとほとんど言わなくなってきたのではないでしょう […]

  • 滝山ネイチャークラブ代表 さんが新しい記事を投稿しました。 2023年9月2日 6:44 PM

    活動を具体的にイメージして 活動を具体的にイメージしてシミュレートしましょう。 何時に集まって、どうやって出発して、何時ごろに集めて、何時ごろに帰ってくるか。 これは何を意味するかというと、こちらでコントロールすべきところ、コントロールできるところは超具体的にイメージしておくということなのです。 分単位で […]

  • 子どもと関わるということは自問自答を繰り返すということ
    正解はだれかが教えてくれるわけでもなく、どこかに答えが書いてあるわけでもなく、当然ネットに書いてあることなんかで幸せになれるはずもない。

  • もしかしたら人は子育てをして初めて、正解のない問い、非合理的な作業、思い通りに進まない不合理に突き当たるのかもしれない。
    自分自身の努力で人生を勝ち進んできた人ほど、子育てに悩むのは、「子どもというのはなんと思い通りにならず、予測不可能な行動ばかりして、行為・行動の意味が分からない」からなのかもしれない。

  • 想いが大事だと伝えても伝わらない。
    「そんなものは何の役にも立たない」と
    答えのない問いに向き合って、はじめて正解は自分で探し求め、追い求めるのだと気づくのかもしれない。
    それでも、もがき、自分で答えを求める一歩を踏み出していくことに価値がある。

  • ブログは集客のためでもなければ、誰かのために書くのでもない。
    自分が自分自身を知るために、一番身近で、一番頼りになる、この自分という人間を誰よりも理解して、自分自身と対話して、それを外に向かって表現していくということに意味がある。
    そのことが、単なる自己満足ではなく、自分がより良くなるということを通して、結果人のためになるということである。

  • 誰が読んでいなくても、誰かに言われなくても、ブログを書くことである。
    それは第一義的には自分のためである。
    自分自身を知り、自分がどこに向かうべきなのかを明確にするためである。
    それが、人に伝わってはじめて、人のためになるのである。
    ただし、これは受け手側の問題でもあるので、それはこちらではコントロールできない。
    コントロールできないことにはフォーカスしないこと。
    それを自己満足だという人には勝手に言わせておけばいい。
    まずは自分を知り、自分を表現することである。

  • 誰もが自分の生きざまでもいい。ポリシー、考え方でもいい。
    人に伝えられるであろうか。
    最初はうまく伝えられない。
    練習しないとうまく伝えられない。
    だから毎日書くのである。
    毎日書けばその意義が分かるようになる。

  • ブログはトレーニングなので、誰が見ていなくても書くことに意味がある。
    もちろん、単なる自己満足では自分が満足できないので、人に伝える、人に伝わるように書くというトレーニングでもある。
    トレーニングなので、強制・強要されるものではなく、自ら向上心を持って、取り組みたいと思った人だけ、取り組めばいいのである。

  • ブログはトレーニングの一環であって、勉強ではない。
    まあ広い意味ではそれも勉強なのだが、誰かから何かを教わるわけじゃないので、それを勉強というなら勉強とは言えない。
    トレーニング、練習法としてのブログなのである。

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