幼児の教育環境について考える

近所の公園に出かけた。

ベンチに座って食後のコーヒーを飲んで気付いたこと。

「何かが違う」

広場もあって遊具やアスレチックもあるいい公園だと思う。

それでもここに森のようちえんの子どもたちを連れてこようとは思わない。

何故か。一言で言うと、「おもしろくない」のだ。

ここで森のようちえんの子どもたちが見せるダイナミックで主体的、創造的な遊びが期待できるかと言うとまず無理だと思う。

素材に乏しく、魅力に乏しく、あるのは「ここではこうして遊びましょう」という規則だ。

公園とはそういうものだ。

当然、公園の存在意義がないとは言わない。

不特定多数の公共の場として安全で快適な環境を求められる場所としては十分だろう。

0歳や1歳、また小学生であっても楽しく遊べる公園だと思う。

それでも森のようちえんの子どもたちには「物足りない」のである。

子どもの創造性を開発するのに必要なのは、ルールではなく、自由だ。

子どもの主体性を引き出すのに必要なのは、魅力ある素材と環境だ。

だとしたら、子どもの遊びに必要なのは、自由で豊かな環境だ。

「こうしなさい」「こうしてはいけません」では、子どもの創造性は育たないのだ。

選択肢が少なく、制約や制限が多かったり、結果が分かり切っている環境は子どもの内発的動機付けを引き出すことは難しい。

誤解のないように繰り返すが、公園がいけないのではない。

質の高い幼児教育の環境を考えた時に、必要な要素は何かと考えるのである。

自然が良いとは言っても既存の幼稚園・保育園が30人、40人の子どもたちを連れ出して自然遊びするには、私たちのフィールドは不適切である。

現実的に大勢の子どもを連れていくには公園のような環境を選ぶだろう。

大切なことは「対象に合っていること」

年齢や発達、集団の規模や背景など様々な条件を加味し、目的を効果的に達成するのに最適な環境を選ぶと良い。

私たちの森のようちえんは少人数(10人まで)で、質の高い教育を目指しているから、選択肢も豊富で、制約のない、魅力ある環境を設定している。

質の向上を目指せば目指すほど、子どもにとっての魅力(時に危険も含めて子どもにとっての魅力となり得る)を増していかなければならないのである。

だから私たちは、危険も多い自然環境にチャレンジするのである。

質の高い教育を目指すのである。

食後のコーヒーを飲みながら立ち寄った公園で感じた雑感である。

堀岡正昭

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