子どもを見るということ、保育という営みとは?

子どもと目線を合わせる。

おそらく保育の教科書の一番最初に書いてあるのではないでしょうか。

少なくとも、「子どもと目線を合わせる必要はなく、常に立って監視しましょう。」とは書いてないはずです。

滝山ネイチャークラブは子どもと目線を合わせます。

しゃがんで子どもと目線を合わせます。

頭で「分かっている」ことを実践を繰り返し、習慣化するまで身に付けます。

 

でも最近はそうではない保育観が増えてきたように思います。

「子どもの遊びには保育者が介入しない方がいい。」

「子どもと遊んだりするのではなく、保育者は子どもの遊びを見守りましょう。」

果たしてそうでしょうか。

大人が下手に関わり、子どもの遊びが壊れてしまうということがあります。

それでも私は関わらない方がいいとは思いません。

その関わり方が問われるのだと思います。

 

子どもの様子を観察し、遊びを見守ることが大事なことがあります。

それでは、手を後ろ手に組み、距離を取り過ぎて見守っていて、子どもの安全性が守れるでしょうか。

漫然と見ているだけというのは、見守るとは言いません。

傍観、もしくは監視と言います。

保育と言うのは子どもの成長に積極的に働きかけるアグレッシブな営みです。

常に変動する子どもたちの遊び、何をするか予測不可能な子どもの動きに対応するこちらの構え。

実は一時も気が抜けない高度に緊張を強いられる仕事なのです。

にもかかわらず、後ろ手に手を組んで、身構えずにいたら、咄嗟の動きは出来ません。

様々な動きを要求される仕事であって、咄嗟の判断力、瞬発力が要求されます。

それを意識して構えているから対応出来るのです。

漫然と子どもをみていても対応出来ません。

 

「そんなにずっと子どもを見ていることなんて出来ません。」

それが出来るようになるんです。

「目を離さないなんて無理じゃないですか。」

視界から外すなということではないのです。

子どもを見るということを監視することだと思っているとそう勘違いするかもしれませんね。

「1人で全員の子を見るなんて無理です。」

そりゃあ無理です。

だからチームで保育するのです。

 

保育という仕事の素晴らしさを知っていれば愚痴や文句、不平不満なんか出てこないというもの。

チームで成し遂げる力の大きさを知っていれば無理なんかせず楽しんで保育できるのです。

その喜びと価値を広げたい。

滝山ネイチャークラブの森のようちえん、ソトアソビスクールでそれを体験してみませんか。

いつでもお待ちしています。

滝山ネイチャークラブ

ソトアソビスクール

堀岡正昭

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