なりたい自分を思い描き、強く願うことである。
「こうなったらいいなあ」ぐらいではだめで、「絶対、そう、なる!」ぐらいの思いじゃないとなれるわけがない。
自分は何になりたいのか、どうなりたいのか、明確にイメージ出来るといい。
どんな保育者になりたいのか、何をしたいのか。
子どもの気持ちに寄り添う保育者になりたかったら、子どもの気持ちを理解するにはどうしたらいいか考える。
具体的な行為行動にして繰り返し習慣化するまでその動作を身に付ける。
子どもに怒ってばかりいる保育者になりたくなかったら、どうして怒るのか、自分自身を振り返ることである。
相手が悪い、と相手を批難し、相手をコントロールしようとしてはいないか。
人は変えられない、変えられるのは自分だけ。
自分が変わろうとしていないだけである。
本気になって「子どもを怒ってばかりいる自分が嫌」なら本気になって自分を変えるべきである。
そうしようとしないのは、実は本当は変わろうとはしていないのである。
人生も然り。
目標を明らかにし、自分がどういう人生を歩みたいのか。その目標に向かって、その目標を達成するためにはどうしたらいいかを考える。
現実は自分が思い描いたようになる、とは言うが、思い描いていないだけなのである。
それに、なろうと思っていないことは思い描くことすらできないのである。
自分は森のようちえんをこの後、どうしたいのか、どうあるべきなのか、自分はこの先、どうしたいのか。
問われているのは自分である。