みなさんよくご存じの『三びきのやぎのがらがらどん』
実はこれ、最高の育児書だったんです。
青年心理学的に言うと子どもから大人になるということを表しているのだと思っていたのですが、実はそれだけでは読み取れない、親へのメッセージが含まれていたのです。
名前はどれもがらがらどん。
このことは実は3匹のやぎは同一人物。1人の人間を表しています。1人の人間が子どもから大人へと成長する過程を一番小さいやぎのがらがらどん、2番目やぎのがらがらどん、一番大きいやぎのがらがらどんとして表しています。
最初は小さいやぎですから許してもらうわけです。それから2番目やぎ、最後には闘わなくてはならないのです。
それは何と?
みなさん、あのトロルって、何でしょう?気味の悪い大きなトロル。
でもね、あのトロル、何か悪いことでもして?
トロルの主張が正しければ、あの橋はトロルの橋なんですよ。
その橋をかたことさせるもんだから、がたごとさせるもんだから、がたぴしさせるもんだからトロルは怒っているんですよ。
そんなに悪いことしていないどころか、悪いのはどっちかというとがらがらどん、やぎの方じゃなくて?
このトロルが象徴する存在とは?それが分からなかったんですが、実はトロルこそが我々、親そのものだったのです。
あの絵本(北欧民話)は子どもが親から自立していく過程を描いた最高の育児書として読み取ることが出来るのではないでしょうか。子どもが成長する(山へ草を食べに行く)過程を親の愛に見守られながらも、いつかは対立しなければならない親、大人、そして自分自身との闘いを描いたものだったのです。
だとしたら、何も悪いことをしていないトロルが、一番大きいやぎのがらがらどんにこっぱみじんにして、谷底に突き落とされなければならない理由が分かります。我々はこっぱみじんにされなければならないのです。谷底に突き落とされなければならないのです。子どもたちが自ら自分と向き合い、逃げず、立ち向かい、闘うシンボルとしてあまりにも身近で分かりやすい相手として描きやすいのです。彼らは親という身近で闘う標的にしやすい存在と向き合い、反発し、抵抗し、闘い、勝たなければならないです。自分自身が山の草場で太ろうと山に登って行くには、トロルの橋を渡らなければ行けないのです。小さいときは容赦されたこともいつかは逃げずに立ち向かう必要があるのです。
そう読み取ると、子どもの反抗期の理由がよく分かります。
私たち親子は彼と向き合い、彼が大きく成長しようとする姿を受け止め、そして最後にはこっぱみじんに突き落とされようではありませんか。それが彼らの自立への大いなる一歩なのですから。
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