主体性

保育者が、ヨーグルトを箸で食べている年中の子を見て、「スプーンで食べたら」と注意すると、「箸で食べる」と言ってスプーンで食べるのを拒んだそうだ。そして、「主体性を考えるとどう指導したら良いか難しい」と言う。「その子がスプーンで食べたいって言うんだもの。だって、インドの人は手でカレー食べるしね。」とも。
ちょっと待ってよ。おいおい、それって主体性って言うの?
「インドの人が手でカレー食べるのは、食文化の違いだから。日本でカレー、手で食べてたら変だよ。『おかしいからスプーンで食べようね』って言うよ。我々は生活モデルであり、食事のマナーを伝えなきゃいけないし、日本の食文化の伝道師なんだよ。ヨーグルト、箸で食べてたら『スプーンで食べようね』って言うよ。」と話した。
園長と、「何でも話してあげないといけないんだね。」「主体性をはき違えている。」と話した。
園長も「昔、主体性ということが声高に叫ばれ始めた頃、窓の桟に乗って危ないことしてても『主体性だからやらせた方がいい』という人、いたんだよね。」と同調してくれた。
どうも物事を一面でしか見ていない、見られない傾向があるのかもしれない。「主体性」というとそれだけ。少なくとも最低2つの視点で話をしてあげないと容易に今回のような話になってしまう。
「楽しい」ということだけではだめ。「楽しい保育というから、楽しませていたら、怪我してしまいました。」になってしまう。
「安全に」というだけでもだめ。「『安全に』というから怪我させちゃいけないと思って、転ばせないようにしていました。」と言って、つまらなく、発達の保障もしない保育になってしまう。
「楽しい」ということと、「安全に」ということを言わなくてはならない。これらの中間を取れば良いということでも決してない。「楽しい」ということも高見を目指す。「安全に」ということも高見を目指す。この2面性が必要ではないかと思った。
滝山ネイチャークラブは「高く、楽しく、安全に」をモットーに事業を行っております。スタッフは高い志を持ち、活動は楽しく、あくまでも安全に行ってこその事業です。

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