子どもを見るということ

子どもから目を離さない。

事故が起きた時、責任ある親や大人(保育者)は自分を責め、子どもから目を離したことを非難されたと感じるかもしれません。

だから、子どもをずっと見ていないといけないと思ってしまうのかもしれません。

「でも、ずっと子どもを見ているなんて無理」

そう、子どもを見るということが、「子どもを監視する」ということだとしたら限界があります。

ひょっとしたら、「カメラを設置したらいい」とか「いや、センサーを設置して何か異常があったら知らせるようにしたらいい」なんてなるかもしれません。(現実にこんな園、ありますよね。)

どんなにカメラを設置しても事故を防ぐことにはならないし(事故の原因を分析し、検証する道具にはなります。)、事故は(あっという間)に起きるので、センサーが異常を察知してからでは遅すぎるのです。

では、事故を防ぐには子どもを捕まえておけばいいのでしょうか。

これも間違っているのは誰もが知っています。

ではどうしたらいいのでしょう。

それは、普段子どもを見ている専門家から学ぶことです。

「子どもをずっと見ているなんてそんなの無理」

と言って、学ぼうとしないと分からないままです。

幼稚園、保育園の経験ある先生たちが発信して伝えないと事故は減りません。

先生たちは、「目を離してはいけないとき」には絶対に目を離していません。

ずっと監視することが大事なのではなく、その子の発達や行動特性を理解して、その子が今、何を感じ、どう考え、これから何をしようとしているのかを見つめるようにしているのです。

それは辛く苦しいことではなく、(今この子何しようとしているのかしら)と考えると、楽しくて、ワクワクすることなのです。

(もしかしてこの子、危ないことしようとしているんじゃないかしら)

そう思ったら、目を離さずしっかり子どもを見守っているはずです。

そして適時、声をかけたり、注意したり、止めたり、適切に働きかけているはずなんです。

そうやって、子どもの安全を守りながら、子ども自身が「自らやってみたい」という主体的に働きかけていく力を大事にしているのです。

「子どもを見る」とはそういうことなのです。

子どもの状態を理解して、行動を予想するということなのです。

その上で、危険な状態が予想される場合には、「決して目を離してはいけない」のです。

そして、あらかじめ予防の手立てをするということが責任ある大人の役割だと思うのです。

歯ブラシをくわえたまま立ち歩くことが分かっていたら、見ているだけではだめです。

あらかじめ危ないことを伝え、座って磨くことを根気よく習慣化させるのです。

先生たちは根気よく、丁寧に指導しているはずなんです。

最初からうまく出来る子ばかりじゃないはずです。

そういう意味では、子どもを見るというのは大変なことです。

ぜひ経験の浅い保育者の皆さんも、子どもを監視するのではなく、子どもの内面や行動をよく見て、保育するということが「楽しく」なるよう、子どもの見方を身に付けて欲しいと思います。

私も現場の人間です。

(この子は出来るかも)(危なくないかも)という見立てを誤り、事故につながってしまうかもしれません。

だからこそ、子どもの理解をより深め、正しく理解し、安全で楽しい活動にしていきたいと思います。

子どもと関わるということが楽しく、やりがいにつながり、子どもの事故が1件でも減らせるようこれからも発信していきたいと思います。

滝山ネイチャークラブ

森のようちえん

代表 堀岡正昭