言うのとやるのとでは大違い

肯定的で能動的な体験を

日本全国の幼稚園・保育園の先生が、子どもには肯定的で能動的な体験を!ということに賛同されることと思います。

子どもに否定的で、受け身的な体験をさせようとは誰しも思ってはいません。

しかし、実践できているかと言うと難しい所です。

「もっと行きたい!」と言う子に「まだだめ」と言ってみたり、「まだ行きたくない」と言う子に、「もう行こう」と言ってみたり・・。

行きたいという子には行かせてやったらいいんです。

実際、もっとどんどん行きたいって言う子を止めておく方が大変。

「まだ行きたくない」と言う子を引っ張っていく方がもっと大変。

保育者も楽になったらいいんです。

変えられないだけなんです。

自分自身の考えや行動、保育を。

行きたいという子を行かせてあげる、行きたくないという子を待ってあげる。ただそれだけ。そのそれだけがなんと大変なことか。

行かせてあげるといっても、放っておいたら危ないから、ちゃんと見守る、保育者も動く、それが大事。

見守りと言うのは簡単だけど、発達の道筋や長期的な見通しが持てないと見守っているなんて不安で不安で仕方がない。

だから、「これでいいんですか?」「どうしたらいいんですか?」となる。

つまりは経験に基づく子どもの発達の道筋を理解していないと見守りなんてそう簡単なことではないことに気が付きます。

調子がいい時、想定内、変化の少ない時なら割と簡単に見守りも出来る。

「危なくないかどうか見てればいいんでしょ」

そうだけど、子どもって何するか分からないから、常に予想外。

それを見守るなんてこちら側の捉え方、メンタルの問題だけではなく、技術と経験が必要なんです。

保育と言うのは高度な技術と経験を要する専門職

子どもに肯定的で能動的な体験を、と言うけれど、それは大人の想定内の子どもだけ?そうじゃない子は難しい?

ここの差を見極めていただきたい。

どんな子にも、いつでも私たちは子どもに肯定的で能動的な体験をさせいくんだと強い意志で自分たちを磨き、挑戦していく保育者かどうか。

技術の差が、「あっちは行かないで」「まだだめ」という言葉に表れてくる。

技術と経験が浅ければ、簡単に子どもの行動を否定し、やらせたり、受け身の体験をさせてしまう。

保育は技術、練習次第で向上させることが出来る

良きモデルが側にいて、正しく練習することで保育は向上させることが出来ます。

本当にいい保育がしたい、もっといい保育者になりたいと思ったらいつでもなれる。

技術が向上すると楽になる。

楽になると面白くなる。

面白いからもっとやりたくなる。

そんな保育者が増えると日本の保育はもっと面白くなる。

少子化でこれからどんどん園が廃園、縮小していくことでしょう。

園が淘汰され、現場の保育者も力の差が明らかになる。

そんな未来にも子どもと関わり、保育に携わろうと思ったら、技術を磨き、経験を積み重ねていかないと大変なことになるでしょう。

力を付けてやりがいのある仕事に就いて、自分自身が満足できる保育を追及していきたいと思います。

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