必死にやる

身も蓋もないような言い方の様で大変申し訳ないのですが、子育てや保育というのは、必死にやっていく以外に答えは見つからないのではないかと思います。

楽して答えが見つかる程、簡単なことではないということです。

それは、どちらも子どもを相手にして、非常に困難なことだというのです。

情報が多すぎて、みんなが勝手にあーだ、こーだ言う時代

ネットを見れば、やれこうしないとだめだとか、こうすれば必ずうまく行くみたいなことが書いてある。

昔は周りにそういう人がたくさんいて、それこそ、こっちの人、あっちの人、あの先輩、この先輩、それぞれ言うことが違って、どっちやねん!となったが、今はネットがそうなっている。

どれもそんな気もしなくもないが、どうもしっくり来ない。

それもそのはず、子育てや保育の答えは、実は外にはないのだから。

子育てや保育というは、自分が子どもや仕事とどう向き合って、どう取り組んでいくかということがとても重要。

始めはやり方を聞いたり、教えてもらうことも必要。

そのうち、どうしても困ったことや分からないことが出てきた時に、何でも人に聞いて解決しようとしてもうまくいかないことがある。

人を頼ることがいけないというのではなく、人に聞いて解決するならそれでもいいけど、人に聞いても解決しない問題があるからやっかいなのである。

それを人のせいにしてみたり、国や行政の仕組みに問題がないとは言わないけど、悩みの答えを外に求めてもうまくいかないことがやっぱり、ある。

そこでどうするかという問題にぶち当たる。

その答えが、「必死にやる」これしかないのではないでしょうか。

これを聞いたから助かった、ということはあっても、子育てや保育というのは、自分自身の価値観や生活観、人生観や人生哲学とは切っても切り離せないのだから、究極的には、「自分に聞いてみるしかない」ということはあるのだと思います。

それでも、一人で放り出されたら腐りたくもなるような世の中ですから、そんな子育て、保育に寄り添う一人でありたいと思います。

反発心まる出しの30年前の自分に、

「自分でやるんだよ!必死になってやるんだよ!恨みたくなるようなこともあるかもしれないけど、必死になってやったら必ず掴めるんだよ!」

と言ってやりたいです。

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