鬼は怖い鬼でなくてはならない。
鬼は、子どもたちにとって、自分の中の弱い心のシンボルなのだ。
その弱い心(泣き虫だったり、意地悪だったり、その子によって違うだろうが)を豆をぶつけることで退治するのだ。
だから鬼は最後には豆をぶつけられて、徹底的にやられないといけない。
「そんなことしたら鬼が来るよ」なんて子どもを脅してはいけないが、「お天道様が見ているよ」ではないが、「鬼が見ているよ」ということぐらいはまあ、いいか。
いずれにしても、今年も犬目山から恐ろしい鬼がやってきたのだ。
あの鬼は、本当に恐ろしい。
顔はでかいし、なんて顔だというくらい怖い顔だし、爪は長いし、おまけにあの「鬼のパンツ!」
最強だ。
子どもたちのお話の世界を大事にしたいと考えている。
子どもたちにとって鬼は恐ろしいモノ、優しい鬼であってはいけないのだ。(泣いた赤鬼のお話の世界は別だ。あれは優しい鬼の話だし、幼児期と対象を考えて
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サンタさんが優しいサンタさんじゃなきゃいけないのと同様、子どもたちのお話の世界を大事にしたいから、怖い鬼なのだ。
優しい鬼に楽しく豆をぶつけてもダメなんだ。
どうか徹底的に豆をぶつけてくれ。
必死に豆をぶつけてくれ。
そして、自分の中の弱い心を粉砕しておくれ。
本当は心の優しい、黄色い鬼が、犬目山に去り間際にそう言っていました。
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