思うこと

今まで「子どもは早くから親の元を離れ自活することが大事」と思っていました。これは基本的には今でも変わりありません。それは私自身、中学を卒業して親元を離れ一人東京で下宿生活を送りながら高校生活を送ってきた生育歴からくるものは間違いありません。自分の側には中学から寮生活を送ってきた仲間もいました。そんなやつらは本当にすばらしい連中でした。考えもしっかりしていましたし、何より自分たちが中学時代、わがまま放題親に甘えていた頃から親元を離れ生活していたのですもの。この考えは今でも変わりありませんし、経験の上では敵うことのないすてきな人生経験です。しかし最近、少し違った見方をするようになりました。それは「早くから親元を離れ、俺は実は、身につけておかなければならなかった、親とのかかわりや経験が希薄なまま大きくなってしまったのではないか」ということです。どこか大人になりきれていないようなそんな心の空白のようなものがあるのではないか、そう思うことがあります。
 大学の頃、今の妻と出会った頃は家族や仲間というものに非常にとんがった考えを持っていました。それは「家族なんて面倒くさいだけのもの、そんなものにすがっているうちはだめだ。一人で何でもやれる、仲間なんていらない。」なんてものでした。家族というものへのゆがんだ見方で親の愛情に飢えていたのでしょう。でも素直に甘えることの出来ない自分がこうした家族観を持つようになっていったのでしょう。それが結婚し、子どもが生まれ、今は妻の両親と同居していますが、本当に、心の底から「家族っていい。」そう思える自分がいます。今までの家族への飢えを埋めるかのように本当に家族ってすばらしい、大事にしたい、そう思えるのです。これは自分の子どもの存在は非常に大きいのですが、妻や妻の両親の存在もかなり大きい。今までの親へのわがままや甘え、愛情不足を義理の両親に求めているのかもしれません。よく職場にいた親の世代の給食のおばちゃんが大好きで「○○さん、○○さん」と慕っていたのもそんな表れかもしれません。かといって義理の両親との関係がべたべたしているかと言うとそうではなく、反ってつっけんどんなところがあるかもしれません。同居ですから気を遣えば疲れないと言えば嘘になる。家族だからこそ本音で言えるし、わがままも言える。
 今回こんな家族や心の内面のことを書こうと思ったのも、少し自分自身を見つめはっきりさせなければならないことがあると感じたからです。自分自身の課題かもしれません。このようなことは他人からみれば迷惑なことです。しかし、自分を表現し、自分自身を知ることが相手を知り、仲間とかかわる力につながるのではないかと思うからです。はじめは多少ぎこちなく、意味も不明瞭なこともあるかもしれません。しかし、書くことで整理し、自分を表現していくことにつながるのであれば、必ずしも無駄なことではないと思います。
 他人から言われると反発してしまう言葉ですが、自分自身に励ましていきたいと思います。
「がんばれ!」

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