安全を支えるもの

アウトドアスクールの活動は、危ないと言われるような場所でも遊ぶ。

スタッフですら、「ここ、大丈夫ですか?」と不安になることもある。

大丈夫かどうかは、子どもを見て判断する。

危険は子どもによって違うから。

もちろん、この前提がある。

「自分から行っているか」

子どもも自ら怪我をしようとか、痛い思いをするのが分かっていることはしないものだ。

長く子どもたちを見てきて思うのは、大人がやらせた活動の方が、子ども自ら行う遊びに比べ、怪我の率が高い。

おそらく、「大丈夫かどうか」「やるかどうか」「自身の不安」に向き合う時間を十分に取らず、「大丈夫、大丈夫。君なら出来る。」とか根拠のない励ましをしたり、どうやってやろうか考えているのに、「こっちから、こうやってやってごらん。」とおせっかいな助言をすることで、子どもの思考をさまたげているからではないかと推測する。

やろうかどうか、やめようかな、どうやってやろうかな、この子ども自身の思考、葛藤、判断、決断を大事にしているだろうか。

そしてもう一つが、「子どもへの信頼」という言葉で伝えている。

この子なら大丈夫、というその子自身への信頼がなかったら危なっかしくてやらせられたものじゃない。

絶対に大丈夫と信じているから、そこへ行かせられるのだ。

子どもの力の信頼だ。

しかしね、この信頼という何とも危うい感覚を自覚しないといけない。

子どもを信じるというと聞こえはいいが、信じていて落ちたら一巻の終わり。

その何の根拠もない、危うい自信、信頼を確固たる根拠に変える。

それが観察とフィードバックだ。

子どもを信じていても、見ていなかったら、やっぱり落ちる時は落ちるのである。

落ちた後に、気を付けた方がいいねと言っても遅いのである。

だから見ていてやって、子ども自身の予測を超えた危険が潜んでいる場合、止めてやるのである。

子どもたちは、いざとなったら、ほりさんたちがちゃんと止めてくれると信じてくれているから、安心して挑戦する。

子どもたちの私たちに対する信頼だ。

子どもも私たちを信頼する。

私たち大人も、子どもたちのことを信頼する。

その信頼がお題目に終わらせないようにするのが、正しい観察と適切なフィードバックなのだ。

この実態と判断の差がない状態が安全な状態であり、私たちの判断が間違っていなかった証にもなる。

子どもは常に動くし、常にアップデートしている。

だとしたら、私たち大人も常に動いて、観察し、フィールドの状態、その子の精神状態、体調、集中力、能力を見極めて、情報をアップデートしていかないと。

それを続けていってはじめて、事故や怪我のない安全な活動が出来るというものだ。

 

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