自由と云うものを考えてみる。
「自由にしていいんだよ。」と言った時点で、それは本当には自由ではないんだなと思います。
アウトドアスクールで子どもたちはどんどん遊び出します。
別に許可もいりません。
子どもたちの中で、心の自由が獲得できていないとそんなことは出来ません。
何か言われるんじゃないかとか、委縮なんかしていたら、本当の自由はあり得ません。
「何をして遊ぶか、この中から選んでください。」
と言われるのも、なんだか制限付きの自由の感じがします。
この自然の中で、何をしたって構わない。
本当に危ないときは、ほりさんたちが止めてくれるから、安心して遊んでいい。
そんな信頼感がなければ子どもたちの自由は保障できないようにも思えます。
子どもの遊びは予想外。
見ていないと危ないけど、一緒に遊べば問題ない。
アウトドアスクールがなぜ「楽しい!」と言い切れるのか。
それは、子どもが「楽しい!」と思えるような能動的な体験にしているからであって、彼らの能動的な行為(遊び)を肯定的に捉えようと挑戦しているからです。
「子どもは何をするか分からないので、そんな何でも自由には出来ません。」
そう、だから私たちは子どもたちと距離を近づけ、この子たちのことを理解したいと思うのです。
彼らの自由を保障するには、彼ら自身の能力や興味関心、内面の変化に敏感でないと出来ません。
今日は川原で遊び、石を削ったり、割ったり、加工して、「これは花崗岩だ!」「これは持って帰る!」「この石、いくら?」なんてやりながら、1時近くまで遊びました。
大人から見たらただの石でも、子どもたちにとってはかけがえのない魅力ある石です。
(そんなもの)と言わず、子どもたちが大切にしている物を私たち大人も大切にしようと思います。
「今日はマッチで火を点ける!」と言い、
ようやくあたたかいお昼にありつけました。
今日はおもしろい遊び場、見つけたぜ。
次回は草刈りしてきれいにしょう。
子どもと距離を近づけると子どもの「好き」が見えてくる。子どもの「おもしろい!」に敏感になる。子どもが「楽しい!」体験にしようと思えてくる。
学童期の子ども理解なら絶対の自信があるのは、相当数子どもたちと関わってきたから。
小学生の「楽しい!」と「安全な活動」を両立させる滝山ネイチャークラブのアウトドアスクール。
ぜひお任せください。
次回も遊び倒そう。
滝山ネイチャークラブ
堀岡正昭