「発達」とは? ~目標ではなく、 今できることを行った結果起こり得るもの~

今回のテーマは「発達」についてです。
子育ての中で、「発達」という言葉をどう捉えたら良いか、私なりの考えを共有できればと思います。

 


 

こんにちは、快です。

最近は書店ではなく、図書館に行っています。図書館は書店以上に面白いですね。

図書館では同じテーマの本を複数、自由に読めるのです。
高校くらいの頃から、「同じテーマの本でも、違うことが書かれていることもあるから複数読んだ方が良いよ」
と先生によく言われたものです。しかし何か実感がなく、書店に行っても、複数買うと高つくからと1冊だけ選んで買うようになっていました。更に、買った本を無駄にしないようにと隅々まで読めばそれだけ時間がかかり、次の本に向かう手が重くなります。

しかし図書館のように複数無料で自由に読めるとなれば話は別です。3冊くらい同じテーマの本を手にとっては、目次の中で気になる部分をどんどん読んでいく。似たような内容もありますが、時にこんな視点があったのかと”はっ”とさせられます。

今回は、その ”はっ” とした内容から「発達」について共有したいと思います。

 


 

子育てをする中で「発達」という言葉を耳にすることがあるかと思います。発達と聞くとどのようなことを思い浮かべるでしょうか?

私は、発達と聞くと成長をイメージし、子育ての中では「発達」することを一つの「目標」のように捉えていました。

 

また「発達を成し遂げる過程」を考えると、例えるなら、「成長の階段の1段上を目指し、頑張って登ること」をイメージしていました。

今できることより1段階難しい行動をできるようになろうと努力するイメージです。

しかし、このように発達を目標の一つと捉えるほど、何か子どもと関わるのが窮屈になってくる私が居たのです。
発達につながる働きかけをしなくては、子ども達が今できることの一つ上の行動を促してみなければと。

そんな私の窮屈な考え方を”はっ”とさせてくれたのが、「子ども学序説」という本にある次のような内容です。

(前略)…つまり人は、<ここのいま>をこの身体にそなわった手持ちの力を使って、いまできないことは適当にやりくりしながら生きる。…(中略)…このうえに「発達」を位置づけて考えれば、手持ちの力を最大限に使い、いまのできなさを適当にやりくりしながら生きていく、そうしているうちにその結果として次の新しい力が伸びてくるということになる。ここでは「結果として」というところにアクセントがある。もちろん、それが伸びてこないことだってある。そういうものではないか。1)

発達に至る過程に何か窮屈さを感じていた私にとって、視界がひらけたような瞬間でした。

発達とは、「目標」として成長の階段を頑張って苦しんで登るという方法だけではなく、「今できることを最大限やる」ことによって(子どもにとってはできるようになったことを目一杯楽しむことを通して)いつの間にか成し遂げられているものでもあると。

言われてみれば確かに、子どもの発達はそのように成し遂げられていると気づかされます。

例えば、赤ちゃんが座れるようになってから立つようになるまでの過程です。
座ることを繰り返し、ハイハイを繰り返し、子どもは世界を楽しみます。その過程で、腹筋や背筋、足の筋肉が実は鍛えられていたことに気づかないように。
更に赤ちゃんは、大人の手が届く部分の高さに魅せられ、壁までハイハイで登るようにしてつかまり立ちを身に着けます。

このつかまり立ちを通して、高いところを見られる世界を楽しむ内に、赤ちゃんは更に足やバランス感覚を鍛えます。そしてふと片手を離し、手の届くところを楽しみ、いつの間にか、手を離しても立っていられるようになります。

私の姪っ子もこうして、立ち、歩けるように成長したように思います。(もちろん親の支援も必要だと思いますが)

 

このように、子どもの発達は必要以上に目指すものではなく、今を存分に遊んでいれば窮屈に感じなくても成し遂げられ得るのです。

 

学歴や資格など、目標としなければ得られないものが評価される昨今、目標を達成するために頑張ることも必要でしょう。
しかし、あらゆる情報が得られる今の社会では、目標・課題とするべきものの海に溺れかねません。
それらの目標・課題の達成を求め続けることは、同時に自分に足りないものを見つめ続けることでもあり、
別の見方をすれば、無力感、ストレスを感じやすい社会でもあるように思います。

そんな社会で、「今できることを楽しんでやろう!そうすれば勝手に発達できる!」
こんな捉え方も必要な場面があるのではないでしょうか? そう捉えれば、肩の荷が下りる場面がないでしょうか?

 

「今の自分がやれることを全力でやる、そうすれば自ずと発達できる」

 

そんな考えを共有したくて、そんな考えで少しでも気が晴れる人がいたらいいなと思って、
拙い文章ではありますが私の全力を持って書いてみました。

”はっ”としてくれる人が居れば幸いです。

 


 

ちなみに、発達という言葉を使い慣れた人であれば、次の「発達」の定義を思い浮かべるのかもしれません。

私も初めて知りましたが、発達心理学の分野では、発達を次のように定義するそうです。

発達とは、出生(あるいは、精子と卵子が受精してから)死亡までの、体や心の構造・機能に生じる連続的な変化をいう。2)

つまり、生まれてから死ぬまで、発達し続けるということです。老いて衰えると感じる部分も含めて「発達」と捉える。成長の階段を上っていなくても変化すべてを発達と捉えてくれるようです。

こう捉え方であれば、これを書いている私も、今読んでくれている皆さんも発達していると言ってよいのかもしれません。何かうれしくなりますね。

「今日も発達できたね~」と自分に言ってあげようと思います。

 

<引用文献>
1) 浜田寿美男著『子ども学序説ー変わる子ども、変わらぬこども』岩波書店、2009年、p.115
2) 櫻井茂男編集『たのしく学べる最新発達心理学ー乳幼児から中学生までの心と体の育ちー』図書文化社、2010年、p.10

プロフィール

山田 快
2019年1月から月1,2回のペースで活動に参加している保育補助スタッフです。
普段はメーカーに勤務しておりますが、心理学やコーチングについて関心を持ち、子どもと関わる中で人の成長や学習について理解を深めています。
人として対等に尊重し、感情を丁寧に汲み取るように心掛け、子供たちの創造力、主体性による伸び伸びとした活動、成長につなげられるよう働きかけるようにしています。
子供たちの持つ創造力、成長する力を間近で感じ、エネルギーをもらいながら、私も成長させてもらっています。
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