考える子どもを育てるには

考える子どもを育てるには?

その前に、「先生、何して遊んだらいい?」と聞いてきて、大人の言いなりになる子に育てようと思ったら、「ああしなさい、こうしなさい」と色々指示してやらせるといい。

そうではなく、私たちは「考える子ども」を育てたいので、子どもに指示したりする量が少なくなります。

山に子どもを連れて行っても「あれしなさい」「これしなさい」と指示することはほとんどないのです。

「木の根っこがあるから危ないよ」ともあまり言いません。

視覚情報を初め、五感で感じる感覚を研ぎ澄まし、何が危ないか感覚から感じ取って欲しいから「木の根っこがあること」「木の根っこにつまづいて危ないこと」などと言う情報提供はしないことが多いのです。

「ほら転ぶよ」という実況中継もしません。

今、全神経を張り巡らせて五感で感じ、脳で思考し、判断しながら行動しているのに、余計な言葉は判断と思考を鈍らせます。

子どもたちにかける言葉の量が少なくなるのはこうした理由です。

じゃあ何でも話しかけるのは悪いのか。そうではありません。

その質が問われてくるのです。

私たちは子どもたちの声に耳を傾け、いろんなことをお話しします。

「子どもと話したい」ということもありますが、そうしないと子どもと信頼関係は築けないからです。

また、野外では子どもたち(人間と言ってもいいでしょう)には知らせないと分からないことがあります。危険な動植物の情報です。

残念ながら私たち人間の本能に任せていては危険な動植物は避けられません。

進化の過程で他の動物なら知り得ている危険を察知する能力は引き継がれなかったのかもしれません。

今日もスズメバチがお食事中の場面に遭遇しました。

どこにいるか、なぜ危険なのかは子どもたちには分かりません。

危険を回避し、子どもたちの身を守るために私たちは、指示します。

行動を禁止し、制限します。

「あそこにいるよ。あっちにはいかないよ。」

「ほりさんたちと一緒に通るよ。」「静かにそっと通るよ。」

その時に必要な指示を的確に与えられないと子どもの安全は守れません。

その時に安全に行動させないといけません。

つまりは、子どもたちに伝える情報、言葉がけ、働きかけの質が問われるのです。

考える子どもに育てるには、考えることを習慣化させましょう。

考えることを習慣化させるには、考えているときにそれを阻害しないよう、考えるということを保証しましょう。(つまりは余計なことは言わない、しないということ)

その上で、子どもを安全に野外で体験させるには、適切に働き掛けないといけないということです。

言葉がけの量を減らし、質を高めます。

大変難しいことではありますが、そのことをみなさんにもお伝えし、子どもの安全を高め、教育的効果を高めるソトアソビを広めなければならないと思います。

それは考える子どもを育てるためです。

滝山ネイチャークラブ

ソトアソビスクール

代表 堀岡正昭

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