監督不在のチーム保育
ワールドカップ、日本戦を見て、保育園におけるチーム保育がうまくいかない理由が見えたような気がします。
これまでも日本代表には様々な監督が歴任してきましたが、もしもその監督そのものが存在しなかったら・・。
当然、その監督の力量、采配、選手との信頼関係には優劣があると思いますが、まずはその監督という存在、役割、監督業の必要性を理解する必要があると思います。
どういうことかと言うと、保育園におけるチーム保育においても、監督となる存在が必要だと。
園長と言う存在、役職があると言うかもしれませんが、園長職と監督業を兼任できるほど、現場は甘くありません。
似ているようで、その2つは、もしかしたら全く違う側面、役割があるのかもしれません。
キャプテンと監督
チームはキャプテンがいるからそれでも良いのでは?とも思うかもしれませんが、実際、その2つを兼任しているチーム、監督もいるかと思います。
ですが、監督業を行う人は、プレーヤーではうまくいかないように思います。
プレーヤーじゃない方がうまく行く、そんな気がします。
「そんなこと言うんなら、お前がやってみろ」
そんな声も聞こえてきそうですから、頭から割り切って、監督とプレーヤーは別、実際にプレーするのはピッチの中の11人。
そうした方が良いように思います。
目標設定
森安監督が少なくとも、今回のワールドカップに当たって、目標に設定したのは、1勝することでしょうか。
それとも決勝トーナメントに出場することでしょうか。
おそらく、これは推測にすぎませんが、ワールドカップ優勝を目標に設定して、選手を起用し、戦術を練り、それを実践するための練習に取り組んできたのではないでしょうか。
監督にはこの目標を設定する義務があり、権限が与えられています。
「そんなの無理」とか「偉そうに」と例え言われたとしても、監督にはそれを設定する権利があります。
それを無条件で与え、全幅のバックアップを行うのが日本サッカー連盟であり、応援するサポーターの役割でしょう。
その目標を設定する責任ある立場が保育においても必要だということです。
相手チームに合わせて戦術を考える
チームは対戦相手に合わせて、戦術を変え、スタメンを変え、勝利を目指します。
ところが、保育においては、この対戦相手と言うのがいません。
どこの保育園と戦って、勝ち負けを競うということがありません。
そういう意味では、「自分たちのサッカー」「自分たちの保育」を行うことに完全にフォーカス出来ます。
サッカーにおいても、「どれだけ自分たちのサッカーが出来るか」ということをよく言われますが、自分たちのサッカーを出来たとしても、相手の方がより速く、より強く、技術、戦術、そして運が高ければ勝つことは出来ません。
でも保育においては勝ち負けがありませんので、負けを気にすることなく、思いっきり自分たちの保育を実践すればいいのです。
自分たちの保育=保育理念を実践に落とし込む
だとしたら、自分たちの保育、保育理念の構築がかなり重要だということに気が付きます。
現場のチーム全員で決めてもいいのですが、それをまとめるのは大変難儀です。
それが出来る園は、全職員で話し合い、保育理念を作っていくというのもありだと思いますが、現実的には、園長先生なり、創設者、中心となる幹部職員などで作り上げるのがいいと思います。
それをたたき台にして、職員でブラッシュアップしていくのが良いと思います。
出来ればその保育理念は、活動理念、こうしたい、こんな活動をさせたい、といったものではなく、どんな子どもに育てたいのか、どんな人生でありたいか、生きていく指標、人生観といったものを反映させていくものであった方がいいと思います。
大きな人生観、目指すべき指標、方向性みたいなものです。
憲法のようなものです。
勝手に職員が変えてはいけない、園の存在理由、園の在り方、将来こうなりたいといった理想像です。
保育理念を日々の活動に落とし込む
ここから先が、保育現場の仕事です。
監督を中心に、保育目標を設定し、自分たちの園、地域、伝統、文化に合わせて、保育活動を計画していく。
そう、すべて現場の仕事です。
だから監督業は園長先生ではない方がいい理由の一つです。
保育目標を立て、年間計画を立て、中期的な期の目標、具体的な保育活動を組み立てます。
サッカーで言う、戦術、戦略です。
勝利のために戦術、戦略を立てたら、選手はそれを理解しないといけません。
理解して、実行できるスキルを磨かなければなりません。
この時に重要なのが、チーム一丸となって事に当たるということです。
1人でも勝手なことをしたらチームとして機能しません。
どんな名プレーヤーであっても、チームの戦術、戦略を無視して、勝手なことをするようなことがあればチームから外すべきです。
1人のパフォーマンスや人気のために代表チームはあるのではなく、チームで勝利するために1人1人が起用されるのです。
俺たちは会社の駒じゃない
でも、「俺たちは会社の駒じゃない」、そんな声も聞こえてくるかもしれません。
もちろん、1人1人の意見も聞かず、監督が押し付けるような言い方では信頼関係も育ちません。
選手一人一人を尊重し、意見を聞きながらも、チームとしての戦術、戦略の理解に全力をささげる。
そんな献身性も、監督やコーチ陣には求められるかもしれません。
そして、選手1人1人も駒ではない。
一個の人格を持った人間なので、自分自身を発揮しながらチームに貢献していくというのが、本当の名プレーヤーなのかもしれません。
チームとしての勝利を目指して、パフォーマンスを発揮する
その際に、「俺はドリブルをしたいんだ!」とか「ちょっと疲れちゃったから守備はしない」なんて勝手なことを言う選手は困ります。
選手はあくまで、監督が指示する戦術、戦略の上に置いて、自らの判断と決断によってプレーするのです。
監督の指示無視では困るのです。
たとえどんなにうまくても、自分勝手な選手は起用すべきではありません。
その監督と選手の関係を表すのに一番近いのが、身体の組織・細胞・器官です。
脳だけが優れた器官という訳ではなく、それぞれの器官を総合的に司る司令塔としてその役目を果たしているのと同じように、監督が偉いわけではなく、単なる役割にすぎません。
でも、それぞれの細胞や器官が、勝手に、「俺は疲れたから休もう」「脳の指令なんて聞いていられるか」なんて言ったらどうでしょう。
身体はばらばらになり、健康な状態はおろか、生命の維持も難しくなってきます。
では、それぞれの細胞や器官はいつも脳に指示に従っているだけでしょうか。
それぞれが自分の役目を理解して、自分で判断して、自分で行動する主体的な存在です。(たとえの話です。医学的に細胞が判断している訳ではないと思いますが)
つまりは、完全に統制された人間の身体を司る、それぞれの細胞一つ一つであっても、単なる駒ではなく、自律した存在だとしたら、我々人間も、その組織において、自律した存在でありたいと思うのです。
それは保育理念や活動計画を無視して、勝手に振る舞うということではなく、その秩序の中において、どれだけ自由に、自律的に行動できるかということが焦点になってくると思います。
ワールドカップの監督業の話から、チーム保育について考察を深め、保育における監督(プレイングマネージャー)の役割と必要性、チーム保育における職員一人一人の行動規範について考える機会になればと思います。
チーム保育を科学する
