物事の根幹

クラスに入ると、そのクラスの流れや環境設定が気になることがある。「どうしてこのタイミングでこの流れ?」「どうしてここにこれが?」あまり言うと煙たがれるだけでなく、「ちょっと見ただけで言って欲しくない!」と怒られるので、小さくなっている。でも園長は、「気になったことは言った方が良い。」とも言う。それには関係性が重要なので、この関係性ならここまで言える、言えないというのはある。だから、問題提起することよりも関係作りの方が重要だと考えるが、それは結構道のりが長い。
 今日は関係調整の話ではないので、流れと環境設定について、大きな流れ、ねらいがはっきりしていれば、おのずと決まってくる流れや環境構成が見えてくるということに絞りたい。我々はとかく目先の活動や方法にとらわれ、大きな目的、ねらい、将来のことを後回しにする節がある。大事なことは枝葉末節ではなく、根幹にある、ということを言いたい。
 やり方、方法はそれぞれ対象に応じてフレキシブルであるべきだと考えるが、大きなねらいから見たとき、おのずと決まっているものがあるということだ。その大きなねらい、セオリーから見た場合、どうしてもそうはならないということが。
 その理屈から言うと、昨日のリーダーの役割も、散歩の先導に限って言うと見えてこないものがある。より大きなリーダー、時代のリーダー、社会のリーダーという視点に立つと見えてくるものもあるのではなかろうか。

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