子どもに寄り添うpart2

物事は二面性で話をしないと「じゃあ、こうなんですね」と極端に捉えて、誤解されることも多いので、子どもに寄り添うpart2。
 フリーでいろいろなクラスに入ることも多いが、その度に子どもと遊んでいるわけでは、ない。もちろん、信頼関係がベースだと書いたとおり、集団保育で子どもを誘導したり、禁止・制限しなければならないときに、この信頼関係というのは大いに関係する。簡単に言うと信頼関係にないクラスや子どもと関わる場合、まず子どもはこちらの言うことを聞いてくれない。だから、僕は手のかかる子や、問題行動を起こす子どもと関わる場合、まず彼らと一緒に遊ぶ。一緒に遊んで、「あぁ、こいつは大丈夫」と彼らに認めてもらうことから始める。もちろん、そういう場合ばかりとも限らないので、本当に落ち着いて、子どもたちが遊び込んでいるクラスに入ると、僕は彼らの遊びを「見守る」役になる。そうじゃない場合は、あっちこっちでトラブルや喧嘩が発生することも予想される。そんなとき僕はフットワークを軽くして対応に追われることになる。でもそんな場合でも「木を見て森を見ない」先生だと、大変なことになる。
 つまり、ここで言いたいのは、信頼関係がベース、子どもと遊ぶことが大事と言いながらも、「対象に応じて」ということがとても大切だということである。プロセスとしては、やはり初期の頃、しっかりと子どもと関わり、子どもと遊び、子どもと信頼関係にあるということ、そうすると周りの子どもとの関わりをプロデュースして、子どもが関わりの中から学ぶことを期待できる。
 最初に保育者が子どもと関わらないようにすると、子どもはいつまで経っても保育者の手から離れられない。(母子分離は、母子一体感があって初めて可能なのと同じ。早くから乳離れさせることが大事なのではなく、安心できるお母さんといつも一緒という一体感があって初めてその子は、安心して親の元を離れていく。)この一体感、安心感はいくつになっても帰ってきていい。「5歳になったから抱っこなんておかしい」のではなく、不安で飛び立てなくなったら、またもう一回抱きしめて、安心して、羽ばたいていけるよう僕らはいつでも見守っている。こうした大変な作業のことを「見守る保育」と言うのであって、「子どもが勝手に遊びだしていけるように、保育者が手をかけないようにしていく」ことが「見守る保育」ではない。

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